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国語の授業実践記録
ヒロシマの歌(04/12/01)
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  ☆6年2組で「ヒロシマのうた」(今西祐行・東書)の授業をさせてもらった。単元名「本を読んで考  えたことを書こう」であり「ヒロシマのうた」でテーマの読み方を学び、その後、自由読書、読書発表  会と続く。しかし、25ページにわたる長文なので、丁寧に読みたい教材でもある。

☆授業の学習範囲は「ところが、今年のはる、何年ぶりかで手紙が来ました。」から始まるヒロ子が15才に成長し、「わたし」と会う場面。物語のクライマックスである。今までの読みの様子を知らないままであったが、同じ学習場面を事前に参観させてもらった。
 学習目標は『「小さな、きのこのような原子雲のかさ」の意味を考えることによって15才のヒロ子について自分の読みを伝え合い、ヒロ子のへの思いを豊かにすることができる』であった。「小さな、きのこのような原子雲のかさ」というがキーワードである。しかし、目標を詳しく読んでいくと次の3つの内容があることに気づいた。
@ 「小さな、きのこのような原子雲のかさ」の意味を考える
A 15才のヒロ子について自分の読みを伝え合い
B ヒロ子のへの思いを豊かにすることができる
 @はテーマに迫るキーワードであり、どのように読むかを個々の子供の今までの学習の深さを測るものである。「とうろう流し」をおそらく身近なものとして受け止めていなかったかもしれないヒロ子が、母の死を知り原爆の恐ろしさを知ったときの悲しさや理解できるがその悲しさを乗り越えて強く生きようとする姿を「イニシャル」で理解するのには読みの深さが求めれる。まして、それを自分の言葉で表すとしたら、一時間の授業で目標に到達するのは難しいと判断した。
そこで、「小さな、きのこのような原子雲のかさ」は「表の意味」で裏に色々な作者の思いがあるのだということに気付かせることへと目標を変えた。「きのこのような雲」へ意識を高めるには相当な工夫が必要と考えた。
@はヒロ子の心の動きを具体的な表現から読み取り、自分の言葉で言い換える学習活動で国語の学習力を育てる上で大事に活動であると捉えた。幸い「ヒロ子ちゃんは強い子でした」「勝ち気なヒロ子ちゃん」という表現があり、具体的な文章で捉えることができるし、「やさしい」という一般的な捉え方もできる。
 根拠を挙げて自分の言葉でまとめるだけでなく、それを交流し4,読みを確かめるとしたら、それで充分1時間の値打ちがあると判断したが、発表に終わるとしたらそれだけの学習量では少ないし、発表の仕方、聞かせ方に工夫が必要と考えた。
Aヒロ子への思いを豊かにするは「15才のヒロ子」なのか「今まで自分がよみとってきたヒロ子」なのか、子供はどちらに重きをおくのだろうかと考えた。Aと関連すれば、一面的な見方を広げることになるし、@と関わらせば今までの読みの変容を自覚させるという目標になる。指導計画19時間分の16時間の持つ重さである。

☆授業の目標を「子供達の力に応じて、上記の目標のどれかに関心を持つ」と曖昧に設定し、この授業で「勉強の意味がわかる」「国語の勉強に新しさを感じる」という、評価の観点でいえば「関心・意欲・態度」に置くことにした。具体的には
  ※1国語の勉強には様々な形があることを体験する。
  ※2あらかじめ考えてきたことを発表し満足する。
  ※3文章の細部に目をつけると新しい意味があることが分かる。
  ※4言葉を注意して読んでいくと作者の願いが込められていることがわかる。
  ※5発表したり考えたりすることに快さを感じ読むことに興味を持つ。
この5つのどこかに子供の目が向けがいいのだろうと考えて授業に臨んだ。

☆授業前の子供のノートは、自分が気になった言葉や文(ヒロ子の人物像を表す文や語)とその解釈が記述してあった。これを発表しようという気持ちで子供達は授業に臨んだ。
 チャイムの5分前に授業を始めた。
「お願いします」という元気のよい挨拶を聞いて気持ちが引きしまる。緊張した子供の気持ちが伝わってくる。自己紹介も何もしないまま授業に入った。ここで目標を示すべきであったのに、ノートの発表という子供の構えに押され、
T「今日の勉強の終わりに、これだけ利口になった、大人の言葉では力がついたということをかいてもらいます」という初めの言葉で、授業を終えた後の自分を想像させることから始めた。
 学習に目標を持って臨んでいれば、具体的に描ける働きかけであるが、子供達にはなじみの内言葉である。体育だったら「今日は逆上がりができるようになる」算数だった「円の面積の公式を覚える」などであろうが、国語はこのような具体的なものが描きにくい。
予想通り、想像できた子は一人。この子に発表をさせて、話題を共有させた方がよかったかも知れないと思いながら授業を進めた。
☆物語の筋道を思い出させるために、「ところが、今年の春、何年ぶりかで手紙が来ました」を取り上げ、「何年ぶり」について理解の様子を探った。あくまで探りの状態である。「前にもあった」という答え。そこから「前は何時で、その時ヒロ子はいくつ」というようにたたみかけるとよかったのだろうが、先を急ぎ、「そうして、今年の夏、わたしはまた広島を訪ねることになったのです」の「また」に着目させた。
  ○ところが、今年の春、何年ぶりかで手紙が来ました。
○そうして、今年の夏、わたしはまた広島を訪ねることになったのです。
この二つの文を比べさせて、「もう15でした」へつなぐ方法もあったが、15才を提示し、題名を書くという方向へ授業を進めた。
C「ヒロシマと片仮名に書いているのは原爆の話の時」
という説明ができる子もあり感心しながら、子供達が予習をしてきた「ヒロ子ってどんな子」の発表に移った。
☆「ヒロ子はどんな子」は補足をすれば、「ヒロ子という女の子の様子を一番よく表している文はどれでしょう。そして、その文章から、ヒロ子をどんな子として作者は表したかったのでしょう」という意味になる。物語のあらすじは理解できているので、読み深めるという立場から言えば、このようにして、分かりやすくするべきなのであろうが、子供の勢いに任せて、発表者を指名した。
T考えをノートに書いている人
という質問の意味が理解できていないのであろうか、3分の2。挙手は発言に自信があるという意味に子供は学習習慣化しているので、あらためて、全員が挙手できるように質問をし直して授業を進める。

☆3人の子を指名した。発表なので、(前に出て)黒板を背にして友だちに伝えるという形態をとった。発表には、それなりの心構えが必要であり、聞く側の心構えが必要であるという判断である。3名にしたのは、その発言を巡って話し合いがすすむであろうと期待したことや、2回、3回と繰り返す上で、方法や内容が充実するであろうと期待したからである。最初は挙手をした子。2回目は指名をするという方法をとった。
☆最初の子が「76ページをみて下さい。」という発表者の指示。「見てくれましたか」という確認をさせて、3人の発表を終える。「負けることがきらい」「やさしい」「ちょっと強がっている」に対して、同感の意味を表す感想の交流をさせた。
☆子供の発言は早いので、少し理解ができないが子供たち同士では理解できているのであろう。質問も分からないと言う注文も出なかった。交流をしている様子から判断すると、「同じ考え」の多さで安定し、少ないと不安になると言う傾向を感じた。大事なのは「どうして、その文が気になったのか」の交流であり、文章の深さを互いの考えを交流という手段で確かにするということであるので「安定」を求める方向が気になった。
 つまり、「話し合いによって新しい考えを生み出す」という指導の場である。授業展開の「気になる文」といういかたは分かりやすいが、気に仕方の指導が必要である。「気になる」というのは合い言葉として共有できるが、それは入り口であって、そこから考えが広がらないと「発表」になってなる。「発表」と「話し合い」は違うと考えながら、2回目の発表でうち切った。発表に期待をしてきた子には申し訳なかったが、授業の目的からいえば、さらに子供の意識を高める出番だと感じた。

☆気になるを共有するために、「わたし」の内面を探ろうとした。
「その日、わたしはいよいよヒロ子ちゃんに死んだお母さんのことを話す約束をして、二 人で一日、町を歩き回ったのです。でも、どこにも、そして、いつまでたっても、その きっかけができないまに、つかれていまいました。」 

☆手がかりは「町を歩き回った」「きっかけができない」が手がかりになる。「ヒロ子のお母さんの話などしてやったほしい」の文から当然目的は「ヒロ子のお母さんの話」でありできなかったのは「とうろう流しです。去年もやっていました。きれいですよ。」と母の死など考えてもいないヒロ子の様子です。
「ヒロ子はどんな子でしょう」の問いを生かすとすれば、
 ※ヒロ子がどんな子か、分かるところに線をひく。
※その中で、考えて見たいところ決め、みんなで考える。
の段階を踏んで「とうろう流しです。去年もやっていました。きれいですよ。」を丁寧に読ませると、「わたし」の迷いやその後の強さも生きてくるのではないかと考えたが「迷い」を説明し「困った」を引き出したにとどまった。子供にとっては、言葉の置き換えだったのかもしれない。その後しばらくの時間、「わたし」の気持ちの揺れを表す文をみつけさせるべく時間をとったが、難しかっただろうなと反省をしている。
☆鉛筆が動かないので途中で切り上げ「わたしはやっと、ポケットに持っていた布の名札」を提示した。「わたしは、そうだ、今話さなければならないのだと思いました」の方が良かったのかもしれいない。「そうだ」のなかに、不安やヒロ子ちゃんだったら大丈夫という気持ちをなど、子供なりの表現ができたであろうからである。

☆次に「汽車はするどい汽笛を鳴らして、のぼりにかかっていました」を提示した。
私の気持ちやこれからの生き方を示す文として子供の心に残したいと考え、ノートに写させた。「この文にも気持ちがある」という前提で考えさせた。
「のぼり」「するどい」などがあがった。文章の細部にある表現を丁寧に読むということは長い時間がかかる。

☆丁寧に読むを前提にして次のような仮想授業でを考えた。
最初は53ページ「わたしは」から「行ったのです」を全文写し、「そのとき」「だったのです」を取り上げ、「そのとき」はいつか。「だったのです」から回想の文であるな等を説明し、文章を読む方法を教える。「広島から」始まる文で練習し、自由に発表させる。
次の時間は「町の空は」から54ページを読ませ「気になる文」にお線を引かせ、その中でみんなで考えたい文を写す。その文からイメージをすることを発表する。身につけさせたいことは「文章の裏を読む」である。つまり、文章の奥に、作者の思いがあることを気づかせるのである。このように少しずつ範囲を広げて、行く先は最終場面という授業展開である。目標は、「自分の力で文章に向かう子供を育てる」である。その結果として、
「前の文がここに響いているのを見つけました」
「この文は、意味があるように思うけど、うまく説明できません
「うたはひらかなで書いてるけれど、歌は何もないので、何か別のことを表しているのだ と思います。」
というような感想が生まれたらいいなという願いの授業構成である。そのためには、文や語に立ち止まる読み方を中学年から育てておく必要があるし、当然、発表は日常的にするというのは低学年からの指導内容と位置づけたい。高学年になると手が挙がらないというのは、「知りたい・分かりたい」という学びへの気持ちに隙間があるのだろうと思う。

☆さて、最終の文を取りだしたのは「わたしの不安な気持ちを乗り越えて新しい人生に向かう」ヒロ子の生き方に目を向けるという役割があっtが、「何もかも安心ですもの」「いつまでも15年の年月の流れを考えていました」を取り上げた方が子供にとって分かりやすかったかもしれない。
 手法を変えて、先生だったら「色で表す」という方法を示した。「スイミー」で成功した手法である。イメージをするということは自分なりの手がかりが必要という考えである。これには、子供の心が動いたように思った。もし、授業を再構成するとしたら「迷い」のところでグレイを出し、それがピンクに変わっていくような方法がよかったのかなと今、思っている。「こうように思うのは、文章にこういうのがあるからです」とう発言が自然に出るようになったら、「絡み合い」のある授業と思うからである。
☆その後、学習感想を書かせた。これは、最初の約束だから時間をとる責任があると考えて書いてもらった。後で、ノートには授業の意図をくみ取って感想が合ったのが救いであった。感想の書かせ方として
「授業のはじめ、私は○○という姿を考えていました。勉強が終わった今の感想は○   ○です。それは・・・」
というようにまとめさせた方がよかったかもしれない。

☆ 以上の流れをまとめると次のようになる。
  ※1国語の勉強には様々な形があることを体験する。
発表の形式。部分の視写す。文章の裏を読む等
  ※2あらかじめ考えてきたことを発表し満足する。
ノートに書いてきたことの発表と、発表に対する感想の交流、感想の感想
  ※3文章の細部に目をつけると新しい意味があることが分かる。
「何年ぶり」「もう」「するどい」
  ※4言葉を注意して読んでいくと作者の願いが込められていることがわかる。
作者の気持ちを「迷い」あるいは「色」で表す。
  ※5発表したり考えたりすることに快さを感じ読むことに興味を持つ。
学習終了時の自分のイメージ、授業の最後に感想を書く。

☆この教材をどのように読むかということともにどんな力を育てるかということが授業であるとすれば、任された授業は後者の色合いが強かった。
 
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