▼入門期は指導することが多い。鉛筆の持ち方から始まって学習中の姿勢、発音、それに文字指導まで。それでも指導に負担感がない。楽しい時期である。しかし、口だけで指導をしようとすると行き詰まりを感じる。「先生のしたようにしなさい」では通じない。「このようにしましょう」でも通じない。この「通じない」が指導の技術を生み出す。例えば、1年生の6月。「はなのみち」(光村)の授業した。全文の音読、挿絵からの言葉の発見、そして、動物になりきっての動作化。ノートに写す。文は、「あたたかい かぜが ふきはじめました。」であり、「ながい ながい、はなの いっぽんみちが できました。」である。これを、言葉だけで指導をすると行き詰まる。教師がが黒板に書き、子どもがそれを写すという方法だけではという意味である。
▼「あたたかい かぜが ふきはじめました。」の文であれば、鉛筆を持たないで、先ず「あたたかい」を子どもといっしょに手で書く。次に、教科書の文を指でなぞる。ノートの升目に指で書く。それから、黒板に書くのを見させる。ここまで指導をして、鉛筆を持たせる。鉛筆の持ち方を確かめる。それから、「あ」 「た」 「か」 の文字の特徴を確かめてノートに書かせる。書いた字を見直させるという指導をしてきた記憶がある。
▼言葉の指導は丁寧な方がいい。「大事な言葉や文をノートに写す」という活動一つ取り上げても指導百態である。国語の授業は奥が深い。
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