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国語科教室
かたち
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かつて、「さざなみ国語教室」にコラムに次の文を書いたことがあった。

教室のできごとのトップは喧嘩であろう。よく見ているときっかけは些細なことである。「筆箱が邪魔になる」「ランドセルにさわってよごした」ということ等。最初の段階で解決ができないと口論になり、更に手を出すということにもなりかねない。「筆箱が邪魔になってることに気づかなかったの。ごめんね」とか「少し言い過ぎたよ」という言葉が交わせたら、諍いは仲良しの始まりになる。しかし、残念ながら、許し合う言葉を知らない子が多い ▼気持ちが合わない友達について語るとき「いつもいたずらをして困る」「みんなが迷惑をしている」という言葉を好んで使う子がいる。子どもの使う「いつも」や「みんな」に気をつけた方がよいという知恵をいつのまにか身に付けてきた。諍いの程度にもよるが、大きな喧嘩になる前に、時間をかけて「いつも」や「みんな」を解きほぐしていくと、いつの間にか「ぼくも悪かったのだけれど」とか「いたずらをしようとする気持ちはぼくにもあるのだけれど」という自省の言葉も生まれてくる。言葉で考えるということの尊さを共有できる時である。
▼今の子ども達は、豊かな人間関係を生み出す言葉をあまり知らないような気がする。「ごめんなさい・ありがとう・いっしょにしよう」など良い言葉が身近にあるのに。   

このときは、心を耕しいけば、トラブルはなくなると思っていた。しかし、心が育つまでに時間がかかる。時間をかけるゆとりを子供は待ってくれない。結局「しなさい」「してはいけません」の指示命令になる。それだったら、と思い切ってきちんと禁止事項を決めた方が良いことがわかりやすい。妙に妥協をするのでなく、教えることは教えるのが大事。形からはいることもが。・・・少し意味不明な付け加えですが。

 
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