感性の鋭い子がいます。豊かに想像をしたり、鋭く反応したりします。授業では、多くの子が考えられないようなことパッとひらめく子です。
「感受性はとは、どの段階で育つのでしょう」という問いに、大岡信(「朝日新聞」折々の歌)さんは次のように答えておられた。
「子どものときにすでに決定されるのです。4,5才のとき、すごく怖い思いをしたと いう経験があると、感受性は飛躍的に育つ。怖い経験は空想力を刺激するからね。嬉 しい経験でそういうことはめったにない。怖い経験があった人の方が、なかった人に 比べれば、心の財産として得をしていると思う。怖いということはとても大事。」
これは俳句誌の対談で印象に残った記事です。「怖い」に色々は深さがあるのだろなと思いながらが、子どもの頃のできごとを思い出しました。
私にとっての怖い思い出は蔵に入れられたことです。細かいことは全て忘れています。けれども、いきなり土蔵に放り込まれたのです。真っ暗でした。怖くて怖くて。泣いても誰も助けてくれません。そのうちに暗さに目がなれ、目の前に差し込んできた、小さい窓からの明かりが今も妙に心に残っています。タンスや長持ちの間に体をいれて大冒険のようにした様子を探ったことや、勝手にいろんな登場人物を作って怖がったり、威張ってみたりした自分の世界を楽しんだのです。かた、躾としては「蔵へ入れる」といわれる怖さは身にしみています。蔵から外へ出た時の眩しいばかりの明るさ変化が記憶の中にあります。そのような記憶をたどりながら、大岡さんの言葉の意味を考えていました。
感性が鋭いとは言えませんが好奇心が強いのは土蔵に押し込められたしかもしれません。怖かったとともに世界を感じたときでしたから。
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