▲「室生犀星さん生前の日課は、朝、目が覚めたら、真っ先に寝室の雨戸を開けてみるこ とだったそうです。ドキドキしながら開けたと聞いています。差し込む陽の光が昨日と同じに感じられたら詩人としてもうその日一日はない、ということなんですね。日々の微妙な変化に、かほど敏感であったということなのでしょう。」(TBSラジオ林美雄)
▲若い頃の本が必要になって取り出したら栞のよう挟み込んでいた新聞の切り抜き。活字も小さいし褐色になったコラム。「アナウンサーの一日もこうありたいと思います。水道の栓をひねっても流れ出る水の感触の差をかぎとろうとする姿勢があったら・・・」と続く。また、「町で見かけるポスター一枚をとっても時代の要請が盛り込まれているはずです。どうしてこういう表現が求められているのかを考えたり。時代をえぐり迫ろうという姿勢は演劇や映像制作者の中に多いし、そこから学ばなくては。」とも文章が続く
▲記事は古いが内容は新しい。詩人の感性を教師に置き換えたら、子供の日々の変化に敏感になるということだろう。昨日できなかったことが今日はできた。昨日の失敗を生かして新しい自分を作り出している。子供の日々は新しい
▲室生犀星さんの言葉を借りれば、朝、子供とドキドキしながら出会うということだろう。ドキドキは日記を読むとき。この子は昨日何をトップニュースのしたのだろうかと考えるとき。ドキドキは発問の反応。誰がいい顔で手を挙げてくれだろうか。ドキドキはテストの採点をするとき。悔いのないような答えを書いてくれただろうかと。ドキドキは昨日淋しそうに帰った子の翌日の登校等。
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