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国語科教室
育つということ
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 六年生の後半、子ども達に単元の数時間を任せた時があった。かなりの冒険ではあったが。
  その手順は次の通りであった。

○教材「ゆずり葉」の詩を、事前に国語学習係と一緒に読 みんな でどんな勉強をしたらいいか相談する。
○みんなが「感想を発表する」とう目当てにした分かりやすいものにする。
○指名係・板書係、記録係、授業のまとめ係という役割を 決めて、国語係りで授業を進める。

このように計画を、事前に国語係と綿密に相談をして授業に臨んだ。係りの子は勿論、多く子が 初めての経験ということもあって授業は盛り上がった。 授業の後の反省会では、次のような感想が出た。
「意見がうまく続かないので、もっと友達の話を聞いて発 表してほしい」 これは、指名係を引き受けた子。板書係は、 「友達の発表を、今日ほど真剣に聞いたことはなかった。」 と、今までの自分の学びを振り返っていた。
「授業の記録をまとめて、みんなに読んで読んでほしい。」 と意欲を燃やすしたのは記録係を引き受けた子であった。
学習内容は、詩「ゆずり葉」を読み、感想を話し合うとうだけであったが、それぞれに得る事が多かった。 また、授業に臨む子ども達の様子や感想を通して、学習の主導権を教師が握り過ぎていた従来の授業 観の反省もした。 このような大胆な事ではないが、授業中の発問を見直したこともあった。
それまでは、発問が子どもに 響かないと次々と方向を変えたり、理解できないのは子どもの方に責任があるように思いがちである。
それを改め、 「こういうことを考えてほしいのだけど、どんな問いをし たら、いいのかな」 と、問い返し事があった。
その時、子どもは、 「こう聞いてくれたら、よく分かるよ。」 と返答した。
子どもの思いに沿って発問を変えたら、滑らかに授業が進んだ。
これも、学習に対する責任 と自覚を促すということと捉えている。
自覚と責任という側面で授業を捉えると子どもの学びがよく見えるようになってくる。
 
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