かつて指導をした二年生。作文の授業のこと。見た通りに書くというのが目標であった。
「うんどうじょうで年生がサッカーしています。ボールに一年生を遊ばれているみたいです。」
と、書いた子があった。「ボールと遊んでいる」と書く子が多い中で、「ボールに遊ばれている」という表現が印象る。
その作文を書いた子が、高校を卒業し大学入試に合格をしたという報告に来たとき、
「小学校のことで覚えていることは どんなことですか。」
と尋ねたとき、ためらわず
「サッカーのことを書いた作文」
と、答えた。
あの授業で、作文が好きになったとか、ほめられたとか、色々な言葉で語っていたがその後の学習に様々な影響を受けていたことを言葉の端々から推測する事ができた。
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2年生の子が日記に家庭のことを書いてきた。
お母さんがおけしょうをしました。とてもきれいでした。お父さんがにこにこして、「しらゆきひめみたい」といいました。お母さんは、「はずかしい」
といって、赤くなりました。
この時も、「しらゆきひめみたい」と言っているお父さんの様子から読みとれた。回りを取り囲んで、日記に赤ペンを入れていのを見ていた子が、
「先生、読んでいて楽しいの」
と尋ねる。大事そうに日記を持ち、
「すてきな日記だよ。」
「とてもいい日記だよ。」
とあいずちを打つ。 この話し合いを聞いていて自信を持ったのか、次の日も、その次の日も、家族の様子を書いてきた。
その子が、6年生になった。担任の先生の指導で、好きな学習(いわゆる自由勉強)を始めた。
その子は、一日 一ページ以上の文章を書くことを目標にした。一年間に、数十冊のノートを作り、宝物にして卒業していった。
「はっきりとは思い出せないけど、文を書くのが好きだと思ったのが、二 年生の時です。」
卒業文集にこんな言葉を書いていたのを読んで、きっとあの日記も力になっていたのだろうとも思った。
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教師の言葉は、時として、その子の生き方に大きな影響を与える。良きに悪しきにつけ。子どもへの言葉の重さを感じる時が多い。 |