(森邦博さんの一年生の実践をまとめました)
1,難しくなる低学年の指導
低学年の指導が難しいと言われ、「落ち着いて勉強ができない」「教室を動き回る」「指示が聞けない」「保護者への指導が難しく悩んでいる」というような実態が理由としてあげられている。そのために、少人数学級、教師の複数配置等の対応が行われている。確かに、少人数にしたり教員を複数配置し学級担任の補充をすることは、これからの時代に必要なことではあるだろう。が、指導がしやすいからとか、目が行き届くからなど、指導の技術的な面だけでなく、子どもへの確かな目配りや温かい心遣いという、子ども理解の面をもっと大事にしていかないと、課題は解決しない。
楽しい授業をすれば、子どもは授業に夢中になる。心を捉えれば、歩き回る子どもも席に着く。「我が子が先生に愛されている」という信頼感と安心感があれば、保護者は学校の教育に協力的になる。これは教育の不易の部分である。 私は、学級の人数は多い方が好きである。多様な子どもに出会え、社会には色々な人がいることを学び人間理解を深めると、思うからである。
2、子どもの心をとらえる
一年生の子どもが学校で一番頼りにしたいのは担任の先生である。「せんせい、あのね」と呼びかけ、色々なことを話そうとする。興味があることに夢中になる。
@ほめて育てる
まるをもらうのがとてもうれしい一年生。
「三重や」「四重や」と、ノートを返す度に「まる」の数を数えては自慢しています。返す時「ここがすばらしいね」「やったらできるんやね」と、よいところを部分的にほめると、次からは、他のところもグーンとよくなってくるのが不思議です
Aできることをさがす
整列をさせていたときのことです。みんなの顔をながめてから、「三人だけ、いい顔でまっすぐこっちを向いてならんでいる人がいました。? もう一度ならんでみましょう。」
と言うと、その三人は自分のことだとみんなが思い込んでいます。二度目はグーンとすばらしい顔が三十四人分ならびました。
このような出来事は毎日のように教室でおきている。
よいところ、子どもがほめてほしいと思っているところをしっかりと見抜きそれに対応することが子どもと教師の心を繋ぐのである。
3,子どもの中に新しさを探す
「一年生の教師の楽しさは、真っ白い紙に毛筆で字を書く時の気持ちに似ている」と教えてくれた先輩がいた。名言であると思っている。始筆の方向を誤らないようにするには、子どもの感動を共有する柔軟な心を持ち続けることである。
@小さな発見を大事にする
アサガオの本葉が出てきた子も増えてきました。観察のあとで、「これからアサガオさん、どんなふうになりたいと思うの。お話してきてごらん。」と出しました。すると帰ってきたYくん。???????????????????????????? ???????
「七月十六日に咲いてあげるって。だって、その日はぼくの誕生日だもの。」
それを聞いていた、Mくん。
「十月十四日に咲いてくれるって。その日がぼくの誕生日やから。」
聞いていても楽しくなってきます。上手にお話するものだなと感心します。アサガオは子どもの分身なのでしょう。一年生の世界って不思議な世界です。
Aちょっといい話を見逃さない
「先生、わたしすきな人いるねん。」
ギョッ(と私)。でも、何気なく尋ねる。
「それはだれ?」
「●●○○○くん。」
「ああ、いつもいっしょに学校へ来ている人?玉姫殿で結婚するの?」
「うん、そして、オーストラリアへ旅行にいくの。」???????????????????? 放課後残っていたMさんが、私の仕事を見ながらこんな具体的?なお話をし てくれました。放課後の教室はちょっと心が緩みます。そんなとき、こんな いい話を聞かせてもらえます。
B「あしたこそ」を大事にする
みんなと一緒で安心するのが一年生?!。
アサガオの花が一つ咲くと、まだの子は「もう咲かないのと違うかな。」「いつになったら咲くのかな。」と、不安になってしまうのです。こんな時
こそ先生の声かけを待っている。“明日こそ、明日こそ”と、段々うまくなって成長していく子どもですが、見通しを持って観察するのには、まだまだ経験が不足です。安心させてほしい時の言葉かけがよいタイミングになるのです。
4、楽しく分かる授業をつくる
若い人の国語の授業を参観して驚いたことがある。指導案には「音読をする」「読み取ったことをノートに書く」「授業のまとめを書く」とある。しかし実際は、「読む・書く」活動が省かれて発問と応答に終始した。 その理由を尋ねると「時間がもったいないので。」という返答。回りの先輩達も当然のように聞いている。国語の活動は「読む・書く」なくして成り立たないことを理解していないことに言葉を失った。しかし、その奥に、授業は誰のためにあるのかを見失っていることに気づいた。子どもが本気で授業に取り組んでいるかという視点から見直してほしい教室がある。「学ぶのは子どもだ」ということを忘れてほしくないと思うことが多い。
@基礎を大事にする
一年生にとって、文字を書くというのはとても大変な仕事。汗も出ます。書いては消し書いては消しで、用紙も汚れ涙で顔も汚れます。「労作」という言葉がありますが、一年生の文字は「苦労作」というのが、ピッタリとします。
落ち着きのない文字、・元気な文字、まじめな文字、・明るい文字、・ふわふわした文字・・・。文字は記号の一つなのに、それを書く人の心まで表してしまう。特に大きな文字は、ごまかしができずに、自然と心が出てしまうのが不思議です。「よい文字を書くには、よい心の状態を、よい姿勢を」と、言われるのは、そのためでもあるのでしょう。
A大事なことは繰り返す
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
このかけ声が繰り返されて、お話が進んでいく「おおきなかぶ」の学習。
「おぼえられる?」と聞くと、「できる!」と、頼もしい返事が返ってきました。そのとき小さな絵を用意しました。「おじいさん・おばあさん・孫・イヌ・ネコ・ねずみ」の絵です。この絵に助けられて暗唱はずんずんと進んでいきます。「絵を読む一年生」とも言えそうです。
文字を書くこと、文章の暗唱は、1年生の学習の基本である。どの学級でも指導をしていることである。だから学習成果が上がるかどうかは、指導の考え方に左右されるとも言えるだろう。「書きましょう」「覚えましょう」と指示をするのと、「書きたくなる」「覚えたくなる」とでは意欲の面で違いがでてくる。楽しくて分かる授業は、基礎基本をしっかりと定着させたいという教師の熱い思いと子ども理解に根ざした温かい配慮から作られるのである。
5、成長の喜びを共有する
二学期、三学期を迎える度に大きくなって、気がつくと、「自分で問題を解決している」「漢字の混じった本を読んでいる」という子に出会う。中・高学年より成長が早いように思えるのが一年生。「できない」ことより「できる」ことをたくさん見つける。これが、一年生を見る大事な指導者の「目」。?????????????????????????????????? 森さんは、子どもの小さいな変化を見逃さない素敵な目を持っている。それは特別は目でなく、子どもに寄り添う所から始まる。
@成長を喜ぶ
球根植えをしました。来年一年生が入学してくるこの教室を花で飾ってあげよう、というわけです。夢が広がります。特に幼稚園・保育園の年長児が友達にある子は。
さて、土に入った植木鉢運びの仕事から始
めねばなりません。(5月7日にアサガオの
種を植木鉢にまいた時には植木鉢を運ぶのに
四苦八苦した子どもたちでした)でも、今回は、
意外と楽そう。しかも、
「落とさないように底のほうを持って…。」
と、自分たちで考えて安全に運びます。春と秋とでこんなに成長の跡が見られます。新一年生を迎える“先輩”としても大丈夫な姿です。植木鉢を割ってしまったのは一人、それも、春の時のように持ちきれなくてではなく、不注意で。?
Aできるようになったをみつける
「あのねノート」を始めました。「書くことに慣れて」「書くことをおっくうがらず」「正しく書く(「、」「。」「っ」「は・を・へ」)」「思い出して書く」をねらいにしています。
初めて作文をしたのが6月でした。それから6ヶ月の今日。自由に、思い出したことを書くまでに成長してくれました。読むのが楽しみです。
植木鉢を壊した子ども、文字が書けないという子どもに、「どうしてこわしたの」「まだ覚えていないの」と注意をするのは簡単である。大事なのは、できないことをどのようにしたら学習のエネルギーにできるかと考えることである。子どもに限らないが、1年生の子には少しできたことを大きくふくらませる気持ちをもたせることが自信になっていく。 |