「適切に表現する」と道徳的態度(平成21年8月13日)
「適切に表現する」は道徳的態度の育成につながる。
制帽を被って来ない子がいた。理由は次の通り。
「保田君(仮名)が間違って僕の帽子を被って帰ったので、昨日は被らずに帰った。」
いかにももっともらしく聞こえる。しかし、事実は、教室に自分の帽子がなくて、保田君の帽子が残っていたことだけ。後は推測。だから、正確には次のように言うべきであろう。「教室には、僕の帽子がなくて保田君の帽子だけがあった。だから、保田君が間違ったのだろと思った。被って帰らなかった」
適切に表現しないと、この段階で保田君の人格に及ぶ発言をしていることになる。
国語科の目標は「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」である。「適切に表現し正確に理解をする能力」の育成は、道徳的態度の育成と深く関連する。道徳的態度は人間関係と深いつながりがある。言葉による表現力・理解力の育成が道徳的態度の育成の大切な事柄である。
学校で起こるトラブルは、思いこみや、言い方の軽さ、つまり、表現力・理解力の脆さが原因になっていることが多い。具体的には、顔を見つめられたことを「睨まれた」と言い、体に手が触れたことが「暴力」になる。嫌な言葉が「暴言」に置き換えられ、些細なこと結果として、大きなできごとになる。言葉の行き違いでけんかになる。丁寧な表現をしないから仲直りができないということが多い。
自分の気持ちを伝えるために、どのように表現をすれば相手にわかってもらえるのか、どんな事実が問題になっているかということを考える習慣が育っていれは、教室のトラブルは半減する。現在の言葉の力は、言葉による表現力・理解力が弱いく脆いので、人間関係も脆く弱い。言葉を丁寧に指導し、適切に表現し正確に理解する力の育成することが道徳的態度の育成のポイントである。
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