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「大きなかぶ」「かさこじぞう」「力太郎」等の教材で授業をする時、
動作化を取り入れる。しかし、「スーホの白い馬」では動作化のような活動は取り入れることが少ない。
「大きなかぶ」では、動作化を取り入れることで、場面や登場人物がはっきりする。
「かさこじぞう」では、文章の細部の読みとりは、動作を取り入れることにより明確になる。
「スーホの白い馬」では、動作より紙芝居などが好まれるのは、場面の様子を紙芝居のように表すと分かりやすいからであろう子どもが生き生きと活動する動作化や紙芝居が国語の授業では多く用いられる。
それは、子どもが喜んで活動するからである。しかし、その喜びが紙芝居という絵を書くことに向けられたものであるとしたら国語の時間の活動として適しているかどうかの吟味が必要になる。紙芝居をすることにで見つかる文がある。
動作化を通すことで、気づく言葉の発見がある。活動の面白さが国語の力をつける絶対条件ではない。
「花いっぱいになあれ」の授業を参観した時、一時間中風船の絵を書いていた子がいた。
授業研究会で指導者が子どもが生き生きと活動をしていたので目的を達成したというようなことを言われたことがあった。その頃から「活動あって指導なし」の言葉が話題になった。活動の楽しさだけでは言葉の力は付かない。 |
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