今の子供たちに欠けているものがある とすれば、友達を喜びや悲しみを共有する心であろう。
人が喜んでいたらうれしい、悲しんでいたら悲しいという当たり前の気持ちを持てないような社会の 仕組みになったている。
不審者には心を許さない。安全を気にしながら登下校をするということの日常化は信頼の心を脆くする。
親子の会話も楽しいことより学校の安全がまず話題になる。怪我はしなかったか、いじめはなかったか等々。
このような世相にあって何よりも、言葉の力を鍛えることが大事であるという思いは強い。
子供の人間関係の弱さは、子供同士でトラブルを解決する経験の少なさにも原因があるように思う。出来事が起こると「どうして、そうなったか」「次に何をするとよいか」と教師が中に入り問題の全てを解決してしまう。生徒指導は初期対応という経験知の方程式のもと、子供に考えさせる余裕がない。
学校はいろいろなトラブルのある。このトラブルを教育的な観
点から指導することで子供たちは生きる知恵を学ぶ。
二人の子がつかみかからんばかりになっている。その中に
入って「ちょっと待って。話し合おうよ」という子が出てくる。
「今後、二人が仲良くするにはどうしたらいいのだろう」
と二人を裁く第3者の子を育てる国語の時間を考えてみたい。
国語の授業は教師主導で話題を導いているのでは、子供たちは
いつも当事者の話し方しか学習ができない。
ピア・メデイエーション(仲間による調停)能力は場を生徒指導の問題で
はなく、国語の指導と深い関係にあると捉えてみたい。
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