完全学校週5日制の下での教育課程の内容を定めた新学習指導要領を文部省は告示し、 授業時間 の削減、教育内容の厳選等を具体的に示した。国語科は現行の「A表現」「B理解」 「C言語事項」の 二領域一事項を「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」「言語事項」 の三領域一事項に改めた。また「目標及び内容」を二学年まとめて示した。
いわゆる、基礎 基本に向けての新しい方向である。
今、教育界の関心は「総合的な学習の時間」にある。かつて「生活科」が発足したときがそ うであるようように「総合」という名の研究会には多くの参会者があるという。そのエネルギー が、変わることなく持続したほしいという思いは強い。「生活科」のようにならなければいいが という不安もある。
ところで、国語教育の研究に関心が薄いのはどうしてだろうかといくつかの原因を考えてみた。
まず、研究に新鮮さがないということが上げられる。本来は、研究を深めていく過程で新し さが見えてくるものだが、その部分が曖昧なのである。それは、近年の研究授業の授業研究 と無関係ではない。
授業の良さを話題にしても、課題や問題点はあまり指摘しあわない。研究授業の参観がその まま参観になり、録もメモもないという実態も珍しくない。従って、印象的なトピックの話し合 いになり、深まらないという形骸化したものが多い。
また、研究教材も「ごんぎつね」や「大造じいさんとがん」というように研究し尽くしたのが多く、 今更という感じもしないでもない。
更に、知りたい、学びたいという意欲も、経験という年輪が重なることに反比例するらしい。
経験を生かしていけば、何とかなるという甘さがあるのも事実である。本当は子どもが教師の 思いを越えていることに気づいていないであるが・・・・
国語教育に元気が出なければ、これからの教育はどうなるのかという不安が残る。国内外と も激動の時、研究会も例外ではない。改めて、研究に元気をと思う。 |