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小学校教育の基礎基本
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1,小学校教育の基礎基本
  小学校教育の基礎基本をは何かと問われる時、すぐに思いつくのは次の文言である。
「生涯教育を行うために必要な基本的な態度であるが『ゆりかごから墓場まで』の自学自習を可能ならしめるためには、なんとしても、基礎教育の段階から@学習への興味、関心、意欲をもち、A基礎学力を身につけB学習の仕方を習得しておくことが必要である」(教育展望・村田昇)
  教育は時代の要請により軸足を変える。知識の定着を重視する「習得型の教育」と「考える力を重視する「探求型の教育」さらには身につけた知識を活用するとい「活用型の教育」を重視するようにと文科省は指導をしている。「活用型の教育」は「教科国語で身につけたさまざまな知識や技能を、実際の社会生活のなかで、どう活用していくかを測るものである。文章や資料を基にして@そこから必要な情報を取り出すAその意味するところを解釈するB自分なりに考えて文章や資料を評価するC自分なりに考えたことを言葉で論述すること」(文科省教育課程課長 常磐豊)を内容にしている。
  時代が変わっても小学校教育は、人間形成の基礎基本となるのは普遍のものである。子ども一人ひとりが学ぶことに喜びを持ち生涯学び続ける意欲を持ち続ける強い志を育てることである。
  教育について次の文言がある。「きり花は美しいけれども、時を経たら枯れてしまひます。教育が流行を追ふ一時のものであってはなりません。深くその場に根ざした、しかもその時に適した、誰もが安んずるものでなければならないと思ひす」(芦田恵之助)更に
「よくなるといっても、わるくなるといっても、要は児童の上に存することですから、何よりもまづ児童の上にあらはれる事実を観て、よく児童を知らなければなりません」(同)と、子どもの学びをしっかりと見ることが大事であることについても、「児童心理学・児童衛生学を心得てという前に、自分の目自分の耳で、児童の言動を見たり聞いたりすることにつとめなければなりません」(同)と。
  子どもの学びをしっかりと観ることは教育の基礎基本であるのは当然であり、軸足をぶれさせないために、何よりも、「よい授業」を創ること、授業改善が必要である。

2,「よい授業」で基礎基本となる力を育てるー国語科を例に
  授業の本質は不変である。国語科でいえば、読む・書く・話す聞くという活動を通して言葉を大事にする子を育てるの国語科の授業である。その授業像が見えなくなったという話をよく聞く。少し前までは、大きな声で文章を読み、丁寧な文字でノートを書くことが普通であった。また、文章を暗記することを徹底したし、読書をする子やしっかりと話したり聞いたりすることに子供はあこがれていた。
  ところが、子供が楽しまないからとか時間がかるという理由で、指導が後退している授業が増えているという実態がある。「活動あっての指導なし」という批判の声を聞いて久しい。指導以内業が難しくなったのか、子どもの扱いに教師がとまどっているのか、先が見えないという声もある。また、最近は、授業の目的を含めて、方向さえ危うくなっているという心配も話題になる。
  一般に基礎基本というと、読み書きそろばんに代表されるものを考えるが、それだけではなく、社会生活を営む上で、あるいは、よりよく生きていく上で、大切なものは何かを問い、言葉の力を育てることに向かう授業改善の知恵が必要である。

3,「よい授業」を創る視点をもつ
  授業の改善には、改善の視点が必要である。活発に発言しているとか、熱心に文書を書いているというような印象的なものでなく、しっかりとして授業観の構築が必要である。経験的であるが、次のような視点で「よい授業」を考えてみたい。
  @目標が具体的で、授業の筋道が明確である。
  授業には論理がある。目標が的確で、そのための教材が選べ、指導が積み上げる。導入から展開、終末まで筋を通すことで確かな学力が育つ。読むことを徹底する、繰り返し書くという活動が力をつけるのは目的が明確で筋が通っているからである。
  A 学習活動が目標に到達するよう 組み立てられている。
  授業は構造である。子供が楽しんで活動をしているように見える授業でも、指導目標が編み目のように配置していなくては遊びになってしまう。目的に到達するために、活動の生かし方を工夫するということは意図的な授業の構築が必要である。
  B 授業の進め方にリズムがある。
生き生きとした授業は、子供と教師、子供と子供の心の響き合いである。無駄な話し合いは学びの雰囲気を壊すことが多い。豊かな内面活動を誘発し、共に学び合うことの喜びを共有する授業はリズムがあり、内面が活発に動いている。
  C 学習力の定着を見通した学習方法を学ぶ授業になっている。
  知識の理解のみを目的とすると、活動が停止する。「できた」「わかった」で完結するとかつての詰め込みの授業になる。生涯学び続けることを大事にすれば、学習力の育成が必要になる。学習方法を身につけるためには、子供自らが見通しを持ち、課題に対して進んで学びの筋道を見つけるような指導が大事である。
  D 学習者としての自覚と責任を共有する学習集団が組織されている。
  学習集団は学びの雰囲気を創る。その集団が課題に対して積極的であれば、それに刺激を受けて意欲が生まれる。集団の共存を大事にしていくと、学びの知恵が共有できる。面白い言葉を見つける、価値のある話し合いが生まれる学習集団は、学習者としての自覚を促す。
  E 学習成果がはっきりしていいる。
  学習の成果は子供の中に何が育ったいるかということで図るのが分かりやすい。かつて、一時間中、挿絵をかいていた国語の授業を観たことがある。また、学習の発展として劇を創ることが目的である教材の授業では、十時間を超える段階になっても教材を音読してもすらすらと読めない子があった。その子は、小道具の役でほとんどの時間を小道具作りをしていたのである。子供は「楽しい」と言っていたが、国語の力が育っているかと問われるそうではないという授業であった。
  その子なりに力がついているということは、教科の目標となる内容が育っているかどうかである。 
  F 教師の指導意図場明確である。
  授業は一斉に高まる場合もあれば、一人一人の中で育ちが違うものがある。内容習得の速さも深さも子供によって違いがある。その違いを見通して指導の手順に配慮をしたり、力のかけどころを帰るのは教師の指導力である。機動力を発揮し、一番効果的な指導技術を駆使しなくてはよい授業にならない。
  G 自己評価できる視点がある。
  授業は自己評価によって指導の技術が向上する。よくわかる授業をする、しっかりとした授業をするという抽象的な目標では評価は難しいが、漢字を3文字覚える、主題を200字で書けるというように具体化した方が評価の目安がはっきりしている。
 

 
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