▼国語科は全ての学習の基礎であると言う。しかし、基礎を大事に育てているのかと問われると的確な答えは出てこない。基礎と発展があると すれば、国語科の授業はほとんどが発展の部分を請け負っている。「登場人物の気持ちを考える」「場面の様子を想像する」「要点をまとめる」という指導事項は、気持ちの考え方や様子を想像する、要点をまとめるとう方法が理解できているという前提の上に成り立つ学習である。気持ちくらいわかるだろう、という考えが背景にある
▼全ての学習の基礎なら、言葉の使い方、文章の読み方を含めて、基礎を勉強しているといく自覚が教室あってもいいが、そのような雰囲気はない。文字を丁寧書く、相手にわかるように話をする、要点を聞き逃さないようにして話を聞くとう事柄は指導要領にはあるが、繰り返し指導を積み上げている教室は少ない。発展を意識しているからであろう。だから、一部の子供で進める授業でも違和感を持たない
▼「主人公気持ちを考えましょう」と繰り返し言って授業をしていたときは、気持ちを考える子がすくなかった。しかし、「好きな文章を見つけましょう」と指導をしたら、予想以上に場面様子や気持ちを考える子が増えてきたとう話を聞いたことがある。指導事項の一つ前を丁寧にすることが基礎であろう。つまり、好きな文章を見つけるということは、文章を丁寧よむことを意味している。丁寧読むということは語や文章の役割を考えることになる。必然的に登場人物や場面様子を理解しようという力がはたらく、だから、発展として気持ちや様子が言葉になっていくのである。基礎は難しいことではない、見方や考え方を丁寧に指導をすることなのでるある。基礎力に着目である。 |