つながり(090505)
つながりというのは不思議だと思う。
今日の新聞、投稿欄に82歳の女性「小さな行為に品格を思った」が掲載されていた。内容は電車や駅でのこと。
一つ目は、60代後半の男性に席をゆずられ記事では「彼の足元のふくれたリュックは長旅の帰りを想像させる。さぞ、疲れているだろうに」と書いた後、「三つ先の駅で『お元気で』とわわやかな印象を残して降りた」とも。
二つ目は、座席に光が射し込み眩しそうにしていたら、本を一心に読んでいた高校生が「ブラインドをおろしましょうか」ととっさにはっきり言ってくれたこと。三つ目は、50代女性に乗換えのホームまで案内してもらったこと。下車するときは離れた席から、ほほえみながら目礼されたという。
3人とも、行為の後に笑顔や肯きがあり、それも含めて投稿の動機とも読めた。
この投稿を読み、女性の日常を想像した。きっと、この女性は日頃から、このような行為を進んでしてるのだろう。だから、人の親切に心が動き、嬉しく、投稿という方法でうれしさを伝えたかたのであろう。関心がなければ、当たり前として心をかすめることもなくすぎていく。編集者もこのような行為に関心がある方なのだろう。
投稿を読みながら、かつて、二人だけの音楽会という作文を嬉しそうに紹介して下さった教頭先生の顔を思い出した。その作文は、音楽会の日、仕事の都合で参観してもらえないお母さんに、お風呂で覚えた発表曲を一生懸命聞いてもらったという内容の日記だった。
その日記を嬉しくて担任の先生が教頭先生に伝え、それを外来者の私に話して下さった。いい話が次々と人の心和ませていくということを体感して、不思議な巡り合わせを感じたものだった。つまり一つの行為が人の心を動かし、その行為にまた、関心を共にする者が心を動かす。目に見えないつながりを感じる。
最近、気分に余裕があると、いい話が集まってくると感じている。そして、気持ちがいらだつと妙に、そのような話が飛び込んでくる。そんなことを感じていたので、妙に心に残る記事であった。合ったこともない投稿者、編集者、そして、3人の男性、女性、高校生に妙な親しみを感じた。
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