2年生の子が3人のグループで話し合っていた。
話題は、漢字のカルタを作るか、辞典を作るかクイズを作るかという学習内容にかかわるものであ った。
司会の子は、用意された司会のマニュアルを読みながら仲間の意見を求めた。
司会の以外はクイズをしたいと言った。司会の子は、カルタがしたいように見えた。
2対1でクイズになった。
司会の子が自分のやりたいことを押さえて二人に譲っていることがよく分かった。
するとクイズをやりたいと言っていた子が「賢ちゃんはカルタと言っているけど、
ほんとにクイズでいいの?」と確かめた。司会の子は「いいけど・・」とカルタへの
気持ちを残している様子が見えた。「じゃ、ぼくもカルタにする」と、やりたいこと
を変更した。
「ずるいよ、クイズがいい」ともう一人の子が意見を言った。
司会の子は、困ったような顔になった。その話し合いのところへ指導の先生が
きて「話し合いはどうなった」という質問を投げかけられた。
司会の子は大体の流れを伝えた。先生は「じゃ、クイズとカルタとどうして選ん
だか話し合ってごらん」という助言をされた。司会の子は再び元気を出し、
話題を広げていった。
この様子を見ながら、責任のある立場を得ると真剣に考えるということを強く
感じるとともに指導のタイミングが子どもの育ちに及ぼすことの大きさを感じた。
「賢ちゃんそれでいいの」と言った子は、前の時間に司会をし、そのような配慮の
仕方の指導を受けたとことを授業の後に知った。この子もまたこの授業で育って
いるという想いを強く持った。
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