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国語科教室
話すこと・書くことと生きる力(04/02/20)
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  生活科の授業、得に一年生のは、子どものが探検したり、ものを作ったりする活動が中心で ある。
  教師の関わりも活動や場をもうけることに忙しく、一人一人の子どもに関わる余裕が少な いと いう声を聞くことが多い。
  しかし、 参観をした授業はそうではなかった。生きるをコミュニケーション能力と定め
て校内研究を進めている学校であるが、考えの根底に、話すこと・書くことをおいていた。
その概要を少し述べたい。

単元「楽しかったよ1年間」(全16時間)
単元の計画
@見つける段階(がんばったことを知らせよう・自分の成長に気づこう)4時間
A深める段階(楽しかった1年間)10時間
B生かす段階(発表会をしよう・学習のふりかえりをしよう)2時間
単元名と単元の指導計画はこのように示されている。参観した授業は生きる力に」Aの
段階の7時間目。原稿を覚えて発表の練習をする学習であった。
授業は先ず、本時の目当ての確認・その後、二人組で練習、グループで練習という
流れで展開をした。
単元の「楽しかったよ1年間」の意図は「自分の成長を振り返る」という意味である。
「楽しかったよ」の言葉は、運動会とか芋掘り、クリスマスという行事に視点を置くこと
がある。しかし、「生きる力」という視点で見直すと、行事の楽しさは生産性が薄い。そ
れよりも自信や自己発見につながるとともに、友達の発表は自分の自信を深め呼び
覚ますものが望ましいのは今更言葉を重ねるまでもない。
・できなかった算数ができた。
・学校へ休まずにきた。
・給食が食べられるようになった。
・漢字を覚えた
・泳げるようになった
等、言葉は一言だが、日々の苦労や努力があってできた内容である。「クリスマスが
楽しかった」とは少し意味合いが違う。
参観した授業はグループが「算数・国語・体育・友達・生活・給食・鍵盤ハーモニカ・
漢字・作文・読書・図工・自転車図鑑・マラソン大会・給食当番」と多彩である。つまり
子どもの日常が「楽しかったよ」なのである。
グループがこのように細分化したのは、「楽しかったよ」を先生と子どもの対話の中で
見つけてきたという学習過程がある。
自分で見つかれれない子には時間をかけて、思い出させたり、友達と一緒に考えさ
せたりしたという説明が授業研究会で行われた。
この過程で、1年生ではかなり高度な「振り返り」をしたり、友達の良さを見つけたり、
友達の言葉から自分を見直したりしている。

さらに、発表したいことを200字位でまとめ、原稿化している。発表原稿というものを
見せてもらった。その子の原稿は、整った文字が一部書き込まれ、分かりやすいもので
あった。詳しくは分からないが、推測をするところ、その子は、おそらく文字に自信がない
のであろう、筆圧が弱く、おそらくそのままでは、練習に役立たないと思えるものであった
のだろう。先生が、その子にお手本を示し、その上からなぞらして書かせたようにも見える
原稿であった。発表という場へ臨む心構えを無言のうちに指導されている心遣いが見え隠
れする。一時間の反省の記録も、しっかりとした文字でどの子も綴っていた。
「書くことは次の飛躍になりますから、丁寧に時間をかけて書かせています」
という説明も納得である。
発表も、「姿勢・声の大きさ・速さ・暗記」と目当てが徹底している。相互批評の子どもの
言葉も「覚えておいたらよい」というように分かりやすい。従って、大きな声でゆっくり、しかも、
姿勢を正し、覚えて言えば合格になる。 
形は発表会であるが、生き方を鍛えているという厳しさを内面に持ちながら、楽しさと
オブラートに子どもが魅せられているような雰囲気で生活科の本当の姿に近づこうと
する勢いを感じた。

事実、授業で、子どもの声は明るかったし、発表の姿勢はすばらしかった。話すこと・書くことを
基礎にした体験は国語の教科で身に付けた力を練り、鍛え・拡げ・響かせる上で効果が大きい
と感じた。従って、そこでは様々なドラマが生まれるのは当然であり、子どもは、ドラマの中で
新しい力を身に付けていく。(機会があればまた紹介をしたい。

 
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