講演の中で次のような新聞コラムの紹介がありました。
孫が、努力をした結果を「すごい」と先生にほめてもらって意欲を出したという事例です。
その場合、「すごい」と言うかわりに、さらなる努力を期待して、「おしい」と言ったらどうなるかという提言でし。一字違いですが子どもに与える影響の大きさを考えると一字違いくらいではなさそうです。
同じ話題の中で、努力して認められて嬉しそうに帰ってきたのに「あんたが出来たのなら、他の子も出来たのね。」とい例を出された時、、会場の空気はどっと動きました。誰もが思い当たるところがあったからです。
大人は、一つのことができると次の事へ目を向け、子どもにプレッシャーをかける事が多いと反省しながらある出来事を聞きながら思い出しました。
かつて5年で算数を指導していた時です。あまり勉強が好きでなかった子が「計算が分からないので教えてほしい」と尋ねに来ました。
日頃から進んで質問来て欲しいと思っていた子でしたから、勢い込んで指導しました。嬉しそうに聞いていてくれたので、ここぞとばかり、筆算の仕方や繰り我利まで上がりまで説明しました。そこで止めて置けば良かったのですが、字を丁寧書くこと、さらに、罫線にそってきちんと書くようにいう事へ広げ・・・。
とうとうその子は「もういいわ」と言って逃げていってしまいました。
「質問に来て欲しい」とうことを分母の1にしたら、質問に来たことで分子も1になります。計算が出来たら分子が2になります。ところが、字を丁寧にということで分母を2にふくらませ、さらに、罫線もと分母だけが3・4・5とふくらんでいったのです。そうなったら、いくらがんばっても分子は分母に追いつけません。
「すごい」と「おしい」の言葉の重みをかみしめたひとときでした。
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