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国語科教室

子供と向かい合うとき(051223)
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▼『近江の子ども』という作文文集があった。昭和30年代から50年代にかけて
滋賀の子供を育てた地域文集である。私財を投げうち、滋賀の文化に献身的に尽くしてくださったのが高野倖生さんである。今、滋賀県の国語教育を支えるほとんどの教師は高野さんにお世話になっている。

▲「さざなみ国語教室」を育ててくださったのも高野さんである。自らを応援団長と
名乗って編集から校正、内容の指導まで引き受けて下さった。きびしかった。
ごまかしがきかないし、子どもが見えていない原稿はその場で、書き直しは珍しくなかった。
いわゆる教師のなれ合いは許されなかった。
反面、子どもが幸せに学んでいる姿が見える原稿には、寛大で優しかった。
原稿を書くことで自らの実践を厳しく見つめる目を鍛えて下さったのだと思う。例会でその厳しさを話題にすることが時々ある。

▼教師の姿勢で言えば、こんなことがあった。放課後よく
「職員会開始の予定時刻がすぎています。会議室に集まって下さい」
なる校内放送があるという事実を取り上げ、
「もし、子どもが聞いていたら、
どう言って言い訳をするつもりかな。子どもには、時間を守ろうといっておいて」
というようなお叱りを受けたことがある。どこまでも真実を求められる方であった。


▼例会は、子どもについて語るとき熱く燃える。それは教育の原点というような殊勝な考えからではない。
「いい加減なことで大事な子どもを導くことができるのか」
高野さんの口癖を真実と受け止めてきたから。子供と向かい会うときこの言葉を思い出す。

 
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