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国語科教室

子供理解
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▼「子どもが一人になったとき泣かないような力をつけておくのが教師の仕事です。」
 「わかりましたかと言っている間は教師のプロではありません。」 
若い頃読んだ大村はま先生の教師論がこの頃よく分かってきた。
難しいことではない。子どもにとって何が大事かを考えれば、大村はま先生でなくても言えることである。
しかし、それが言えないのは、それだけの実践を積んでいないからである。

▼何かに向かうとき、自分の中に少しでも楽をしようと思うと、一歩退くことになる。
「わかりません」が「考えるのが面倒」に置き換えている子もいるそういう子の「分かりません」に「もう少し考えてみよう」という方法で助言しても子供の知恵には響かない。
「面倒」を退けるおもしろさがないと子供は気持ちを教師の方や学習へ向けてこない。
「わかりましたか」「できましたか」は、早く言えば、どう指導して良いかが見えず
子供から逃げたり、子供を退けたりしているのである。

▼辛いことからさけるのは簡単である。
しかし、それが決して良くないことであることをお互いに知りながらそうしていることがあまりにも多い。
波の起こらないこどを言い合っているうちは互いに誤解も信頼も生まれない。
子供理解も同じ。校内研究もまた同じ。
決して誉めた授業でもないのに、互いに痛いところは言わない。
また、子どもの躾けもそうである。子供と向かい合っていると、本気かどうかが
みえてくる。子供も同じ。本気かどうかを探っている。
「あなたのためを思っているのよ」と言わなくても・・・

▼ある主婦の言葉
「子どもが家へ帰ったら、どの子も大事な大事な子で
あることが分かっているのかな。例えその子が鼻をたれていても・・・」
かけがいのない子どものために、辛いことからさけないという勇気をもちたい。

 
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