言葉に責任をー教室の言葉(23/10/11)
その時の成り行きで、心にもないことを言ってしまう。その一言が、相手の心を動揺させたり、時間を使わせたりすることを当人は知らない。
次のできごともそうであった。一本の鉛筆がなくなった。その鉛筆とよく似た鉛筆を持っていた子がいた。
「これは、私の鉛筆です。」
言い方の強さに、なくした子の鉛筆のように誰もが思った。「そうではありません」と言えばいいのに、黙って下を向いているので、間違って筆箱に入れてしまったのだろうというようにも見えた。言わなくてもいいのに、
「この鉛筆は、なくした人のもの。朝、みたよ。」
と、言う子も出てきた。
後日、落とし物として、鉛筆が届いた。かすかに名前もみえる。明らかに、よく似た鉛筆を持っていた子の鉛筆はその子のものである。「朝、見たよ」と言う子は、言葉の間違いの大きさは知らない。それを指導する機会もない。
言葉に責任を持つことの指導はどこでするのだろうか。「うそをつかない」ということは教える。しかし。うそではない。その時の弾みで言った言葉である。よくあることに自分で嘘の事実を作って大人を困らせることもそのひとつ。教室の言葉は難しい。
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