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国語科教室
子ども理解について(030325)
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 学級担任が出張。必要があって、6年生の指導に行った時のこと。
 教室に入ったとたん、少し騒々しかった子どもたちが急に静かになった。察するところ、自習という開放感が漂っていることは雰囲気から理解できた.すでに課題は与えられていた。することといえば、机と机の間を歩き、話しかけるというだけのことだけ。時々、子どもらしい考えを書いていいる子に尋ねたりもした。
 いろいろな子どもの中に少し課題の取り組みが遅いかなと思うと思う子がいた。深い意味はなかったが、その子ノートを読むために足を止めた。とたんにその子は、
「僕、何も悪いことしてないよ。」
と、言い訳がましく言い放った。 この一言。この子が教師をどのように見ているかがわかった。
 その日は、時間ごとに、自習の指導には様々な教師が関わった。おそらく、それぞれの教師が、学習態度を含めて様々に注意をしたり叱ったりしたのであろう。中には、励まし声もかけて。 しかし、結果として、その子に残ったのは、注意をされるということ。小さな積み重ねが「なぜ、僕だけが注意をされるの」という気持ちにせさていたのである。
 以前勤務をしていた学校で、ある男の子が、教師の顔を見ると、つっかかるように反抗をする子があった。その子もまた、いつも注意を受けている姿をよく見かけた。
「この子は学校を楽しいとは思ってないだろうな」
と、ふっと思ったことを思い出した。 子どもをよくしたいという善意が、時として欠点を指摘し、注意をし、そして、叱ったりする。それ自体は問題がないが、自習時間のたびに指導者が変わり、注意をされれば、大人でも「何もしてないよ」と言い訳をしたくなるのは当然である。
 子どもを理解するとは、子どものしぐさや表情、言葉の意味を考える事でもあろう。
 
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