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国語科教室
子どもの言葉・教師の言葉
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  (その1)
   言葉は折々に、子ども心を映し出します。
  朝、合奏の練習を自主的に始めたグループがありました。人は揃わなかったのですがどの子真剣  です。

練習が一段落した時、一人の子が遅れて入ってきました。
「○○さん、後5分というときしか、きてくれへんな」
というつぶやく子がいました。
その言い回しと言葉のニュアンスが暖かく特に「きてくれへんな」になんとなく温もりのようなものを感じました。
誰を責めるのでなく、「待っています」というような迎え入れる言い方でした。真剣に練習に取り組んでいるから、言える言葉だと思いました。
多くの場合、遅れる友達に不満を持つことが多いのです。そうでなかったのは、真剣に合唱に取り組む子どもだから言えたことばなのです。
よく育っている集団だからこそ生まれる言葉です。

(その2)
 教師が自分を語る機会がある。学級通信・紀要など。心に残った文章をを引用しました。
教職について今年で八年目になる。自分の学級経営を振り返るとき、いつも思い出す言葉がある。それが「十把一絡げ」である
九年前、大学四回生であった私は、はじめて「先生」と呼ばれる教壇に 立つ。教育実習である(この後実習録の内容を紹介が
述べられていて、その時の指導教官の言葉の紹介へと続く)。
「子どもを「十把一絡げに見てはだめです。一生懸命やろうとしている子はいないのかこまかく見て下さい」
この言葉は私の子ども観の礎石になっている。(30代教師)
久しぶりに保健行事もなく、ゆっくりと校舎を見回ることができました。
手洗いを掃除しながら、花瓶の中に花を一輪。何んとなく心がなごみます。
一階の手洗いに行けば、一年生の子どもたちが「先生ありがとう」 二階に行けば、三年生の子どもたちが,
「先生ありがとう」
何て気持ちがいいんだろう。
大人でも子どもでも、ほめられるというこ とは悪い気がしないもの。
「ありがとうりがとう」
と笑顔で答えながら三階へ。
そんな日は私自身が心が落ち着く。
毎日子ど もにささえられながら日々執務しているのです。
教育を想起させる三つの話。
一つ目の話は以前に六年生の集団宿泊に引 率として、付き添った時のことである。

 ここでは恒例のカッター活動を行うわけではあるが、その時の艇長さんは、全員がカッターに乗るなり、 「櫂はいいかげんにするな」
と一声かけ、海へ出てからも「もし、言うことが聞けないと海へ放り出すぞ」という言葉を発しておられた。
日頃、多弁な子も真剣そのものの顔つきで話を聞き、汗をかいて、懸命に船を漕いでいる。
同乗の教師も自分が子どもと同じ思いになっていた。
やがて、船は、s浦へ着いた。その途端、艇長さんの顔がほころび、 「うまくなったな。この浜へ上がろう。
美しい所だから遊んでいいぞ。」 という言葉が口からこぼれた。
見事な艇長の表情転換に私も驚いたが、私も子どもたち同様、胸にこみ上げてくる喜びを感じた。
そして、艇長 が行った教育の中に、この人が受けた教育を垣間見たような気がした。

 
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