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子どもとむきあう
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  最近、子どもと話しているとき、
 「この人は、信用できるか」 と試されているなと思うことがある。

大人を信用していないし、子どもに向かい合う大人の 小手先態度を見抜いているなと感じるからである。
一旦信用できると思うと、心の中をぶつけてくる。それだけに、ぶつけられたものへの対応を誤ってはならないと 真剣に考える。
子どもと考えないで、人格者として向かい合っていくことであろう。

こんなことを考えていたら「日本一醜い親への手紙」をインターネットのHPで検索した。
ある手紙は、子どもが本当にこまっているとき世間体を気にした答えしか返って来なかったことをなげき ある手紙は、いじめにあり、無表情を装う自分の心を見抜いてくれなかったの残念がっていた。
ある手紙はよい子を演じている自分に疲れたと書いていた。    
共通する事は、子どもが本当に悩んでいるとき、真剣に向かい合ってほしいということであった。
授業と言う場でも言える。子どもが、今、本当に教師を求めている時のサインを確実に受けとめるための ネットを張っているだろうか。
もう一度、見直してみたい。    
ちなみに、毎日子どもの日記を読み、生活ノートという名の回覧日記をよみ、連絡帳を読む生活を20年近く
続けてきたふぁ、それでも、子どもの心を捉えてきたかと問われると自信はない。
それほど、子どもと関わるのは、大事業であることを自覚したい。
 
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