言葉の教育は心の教育である。日々の教室の実践が、生きる力と結びついているという実感が
学ぶ意欲につながる。 このことに関わる言葉の働きを少し考えてみたい。
かつて、なにかの本で言葉に関わる次の詩を読んだことがある。題も作者も忘れたが内容はしっ かりと記憶している詩である。
ひとつのことばで けんかして
ひとつのことばで なかなおり
ひとつのことばで おじきして
ひとつのことばで なかされた
ひとつのことばは それぞれに
ひとつのこころを もっている |
子どもの日々の生活には、言葉の行き違いで誤解して喧嘩になったり、憎みあったりすることもあ
る。また、言葉のぬくもりにふれ、生きることに喜びと自信を持ったりするということは多い。言葉が
人間関係を豊かにもするし、その逆の場合もあることを子どもたちが気づけ「ひとつのことばで けん
かして」「ひとつのことばで なかなおり」の意味の深さを知るであろうという意味において、心に留
めている詩である。
しかし、本当に国語の授業が、生きる力につながる言葉の力を育ててきただろうか。
総合的な学習を視野に入れた全国的な研究会で、提案者が次のように実態を披瀝した。
「総合的学習で、子ども達は次々と課題を見つけて学習を進めていった。その過程でい くつかの壁
にぶつかっていった。電話のかけ方を知らない。まとめ方を知らない。メ モの取り方が分からない。
当然、国語の時間に育てておくべき力なのに、その力がつ いていないことが分かりどうしょうかと
思った。」
言葉の学習の成果は、生きた場で働く事にある。が、本当は、そうでなかったという事実はこれから
の国語教育を考えていく上で大切な指摘である。
教育課程審議会は「物語の詳細な読みからの脱皮」を指摘し、「活動あって学習なし」という新学力
観への批判もある。国語教育の更なる発展を考えるとき、これからの国語教育は、どんな力を育てる
かについて実践で提言するときであると考えている。
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