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生き方は大人が教える
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生き方は大人が教える(23/12/15)

小学校が土曜日も授業をしていた頃の話です。
その日、少年は誤って掃除用具を入れるロッカーを乞わしてしまいました。不注意というようりいたずら心からでした。誰も見てていないことを確かめ帰ってしまったのです。詫びることなく。
空腹を満たすべく急いで昼ご飯を食べようとしました。その時です。少年の様子がいつもと違うことに気づいた母が学校の確かめました。始めは、自分の都合がいいように、言い訳がましく説明をしていました。しかし、大人の目をごまかすことができません。事の子細を理解した母は、次のように諭しました。
「すぐ、学校へ行き、先生にってお詫びをしてきなさい。」
と。土曜日の午後、一週間の緊張から解放され遊びたい気持ちの少年は素直に母の言葉を受け入れません。
「月曜日に、自分で先生に謝るから。」
と、言ったのです。自分の非を認め、誤る気持ちになったことで、その場が収まるのが普通です。しかし、母は、それを許しませんでした。知っているので、素直は返事をしませんでした。
「お母さんの言っていることは分かった。月曜日に必ず言うから。」と。母は、それを許しませんでした。
「今すぐに学校へ行きなさい。月曜日にお詫びを言うのと、今日、 お詫びを言うのとでは、値打ちが違います。」
と、子どもを学校見向かわせたのです。その時、「値打ち」の言葉の意味を深く受け止め少年は学校へ詫びに行きました。
学校では、少年は、その日のうちの来たことを高く評価されました。少年は、明るい気持ちで週末を過ごすことができました。
※   ※   ※
これは、知人から聞いた話です。今でも時々、いい話だと思っています。出来事が起こるとその非を責めることが多い中で、失敗を生き方に結びつけようとする母親の愛情に感動したからです。
普通、子どもは、失敗やトラブルを起こすと、「ぼくだけではない」とか「仲間にさそわれて」ということを先に言います。仲間を引き出せば、自分のしたことが薄められるとでも思っているようです。しかし、少年の母親は違いました。
失敗した事実を認めさせ、その後、どのように行動するかということを教えたのです。推測をするところ母親には次の考えがあったのだと思います。
一つは、自分の間違いをごまかし、嘘をつく子にしたくないという気持ちです。これは誰もが持っています。しかし、その場の子どもかわいさで、子どもの言い分を認めてしまうことが多いのが普通です。信じたい気持ちが時には道を踏み外す導きになっていることはよく知っています。それでも、間違いと知りつつ認めてしまうことが親です。少年の母親はそれを乗り換える力を持っていることにくづかされる出来事です。
二つめは、少年の母親の気持ちの中に、相手を思いやる気持ちが強いことです。学校という場で何が起こっているかということは知りません。しかし、担任の先生はきっと心を痛めるだろう、クラスの子も、気分よく月曜日の朝を迎えることができないだろうと思いを巡らしのだろうと推測できます。過ちの解決は学校に任せるにしても、迷惑をかけたくないという気持ちがあったのでしょう。
三つ目は「値打ちが違います」の言葉の重さです。気持ちの伝えるには、時機を逸しない方がいいというのは大人の常識です。その時々の出来事を持ち超さないで解決をすることが互いの人間関係を円滑にする事であるのは大人が長年の経験で身につけた知恵です。おそらく、この言葉は、少年の母親が親から学んできたのであろうと思われます。このような知恵は、すぐに生まれるものでなく長年の日本という文化の中で伝えられてきたものだからです。
保健室でお世話になった翌日、その子が登校したか、家での様子を伝えてくれる保護者も学級担任も少なくなったというベテランの養護教諭の言葉を聞くことがあります。「昨日はありがとうございあした」の一言が言えないのです。
失敗を生き方の糧にした少年の母親に学ぶことが多い昨今です。

 
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