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国語科教室
児童作文の活用で生き生き「道徳の時間」を創るの背景
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  道徳の時間」はどんなことを勉強する時間ですか、と子どもに尋ねたことがある。
 低学年の子は、お話を読んでもらったり、登場人物の気持ちを考える時間だという回答が多かった。
 中学年の子は、テレビを見たり、お話を読んで考える時間というのが多かった。
 高学年では、友達の考えに学ぶとか道徳的な価値を学習するという意味の事を述べていた。
「道徳の時間」は本来、各教育活動において行われる道徳教育を、全体にわたって調和的に補充、深化、統合する時間である。子ども達にとって、各教科や特別活動、「総合的な学習の時間」などで学習した道徳的諸価値を、人間的な生き方という視点でとらえなおし、自分のものとして発展させて賀いこうとする時間なので、子ども達の道徳の時間の捉え方はある意味では正しい。「道徳の時間」ついて、次のような考え方もある。これは、知人との会話の中で気がついて事である。

@「道徳の時間」に学習したことが生活に生きていない。
A この間、友情について考える授業をしたんだ。
B 君の事だから感動的な授業だっただろう。
A 結構、子どもも本音で、発表もしたし、心の中に入り込んだいると思ったのだけど。 それがそうじゃないんた。
B そうすると、何かあったのか。
A 授業が終わったら、友情も何もない。いつもの嫌がらせを平気でするんだから。
B 「道徳の時間」のすぐ後くらい、身の回りに気を付けたり、優しい言葉をかけたり して欲しいと思うけどそうは  いかなことは低学年でもあるよ。

これは、「道徳の時間」に友達と仲良くするということを学んでも、それが実際の生活には生きていないと言うことへの課題提示である。

A「道徳の時間」がお楽しみになり生きる力に響いていない。
A お話を読んでいる時は真剣に聞いているのだけど、その後、授業に緊張感がないん だな。
B お話が好きなんだから、それも「道徳の時間」としては、大事なことなんだよ。
A しかし、子ども達が面白い、楽しいがお話の筋であったり、一寸した面白さで、ど う考えても、生きることに向  かいあっているとは思えないんだ。

これは、「道徳の時間」で学んだことが心にひびくとはどういう状態を示すのかをについての話し合いの一こまである。

資料を読ませる。お話を読み聞かせる。「道徳の時間」の中心となる資料を読んだりする時は、真剣であるが、その資料をもとにした話し合いになると、勢いが萎える。

B「道徳の時間」の資料が当たり前すぎる心の襞に染み込んでいかない。
A 資料が子どもの生活をかけ離れているので、内容は分かった、でもぼくとは違うと いう気持で読んでいる子  がいるのと違うかな。
B そうだね。

生きる力を育てる道徳の時間を求めて著した本です。 

 
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