学校の中心は日々の授業である。よい授業・わかる授業の追求は教師にとって永遠の課題 であるしその奥は深い。
しかし、授業だけを真正面に考えても進歩も発展もない。
その基盤になる学級の人間関係は信頼、雰囲気のようなものが大きく働くからである。
その雰囲気を醸し出し新しい学びの息吹を吹き込み命を燃やす学校・学級文化の創造が大切になる。
これは日々の地道な積み上げの過程で生まれるものである。
学級担任をしていた頃、日記・生活ノート・一枚文集を柱に学級経営をしてきた。その頃は、子供の心に触れる、
生き方に関わることに価値を感じていたが、それが契機で様々な学級文化が生まれ育ってきたという思い出が
くつもある。時には読書に発展し、時には学級文化祭という試みになったりした。
学級文化が実ると子供の心も豊かになり生き方にも奥行きと幅広さが出てくる。当然、授業も充実してくる。学校・学級文化の高まりを大事にした教育が求められる。
※ ※ ※
書くことに拘って実践を積み上げてきた。折々に子供たちから、
「書いたらどんないいことがあるの」
「どうして書くことが大事なのですか」
と、いう質問を受けてきた。その当時は、的確な答えができず、
「書いたらいいことがある」
ということしか言えなかった。三十八年間の教師生活を終え、その答として『「書くこと」で育つ学習力・人間力』」(明治図書刊・2002年10月)にまとめ、すでに成人しかつてご縁のあった子供たちに贈った。次の手紙はその本を手にした方から届けて下さったものである。
謹啓・先生よりのお便りとご著書を有難く拝受させて頂きました。
どうしても急がなくてはならない仕事に追われ、御返事を書くことが遅れてしまいました。
誠に申し訳ございませんでした。
ご著書のページを一枚、また一枚と読み進めて参りと一気に三十数年前の附属小学校五、六年生の頃がありありと甦って参りました。
当時、先生は恐らく二十六、七才頃でいらしたと存じます。今、その当時の先生の御年をはるかに二十年近く越えた年になった今、当時の日々をふりかえってみますと、先生との出会いが、以後の私の歩みの中で決定的な大きな道しるべとなっていた様にに存じます。
あの頃、毎日、朝、目がさめると、今日一日が始まる事にワクワクし、毎日、就寝する時には、今日という日が終わることがもったいなくて仕方がなく、早く明日にならないものかと思い続けたものでした。
毎日が、今、思い返せば、キラキラとまぶしい様な思い出です。
そして、それらの日々の思い出の一番の中核に存在するもの、それは、実は運動会や遠足、何か特別の行事ではないのです。
今も最も思い出深く甦るのは、学校内で友達と遊びに遊んだ事、そして、毎日の授業で教室、学級内での普通の一日一日の姿なのです。
今でも交替で教室の前に立ち、毎日「クオレ」を読んだ事、「野ばら」の授業の実に心ときめく様な感覚、先生や友達とドッジボールにあけくれた事、・・・・それらが、実に、昨日の事の様に鮮明に思い出されます。
従来のそれらの思い出は、私にとってなつかしく輝かしい思い出の宝物でした。
しかし、此度、先生の御著書を拝読し、それらの日々が決して偶然にもたらされたものではなかった事を知りました。
「高学年の子どもが生きる学習というのは、静かに燃えながら力を蓄え、発揮する場をどのように組織していくかにかかっている」そう御著書に御書きの様に、それは実に綿密に、心を砕いて準備され、夫々の年齢の発達段階に応じた細かな配慮、子どものつぶやきいやわずかなサインのも立ち止まってみられるみずみずしい感覚、そして、子供と子供の世界を大切に、丁寧に、あたたかく接してこられた心配り・・・そらら
によってはじめて成し得られた魔法の時間・空間であった事に思い至りました。
また、言葉というものに対する先生の深い信頼と確信のようなものをひしひしと感じました。実にすがすがしい読後感でした。(略)
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早速、貴重な御本を頂き有難うございます。うれしくて、わくわくしながら読み進んでいます。先生が心あたたまるいいことしか学級通信にのせなかったと云われる通り、当時、私は学級通信を読むのが楽しみで大好きでした。細かい誌でびっしり埋まっていた紙面のイメージがありますが、大人になるにつれ、毎日ガリ版で必ず一枚忙しい学校生活の中、大変な作業をされていたと思うようになりました。
子供の頃はあたり前の環境だと思っていましたが、とほうもなく恵まれていたんだと今になってつくづく思います。学校も楽しかったし、勉強も特に国語と社会はおもしろかったです。
「ごんぎつね」を暗記するのも楽しかったですし、松谷みよ子の「二人のイーダ」を読み込んだのもすごく力を身につけていった頃だと思います。
先生が図書から選んで下さった本を生徒に貸して下さるときも、たくさんの人が手を挙げた中から私を選んで下さり、ものすごくうれしかったです。
先生がこの本を読む力が私にあると思って与えて下さった!と思ってすごくうれしかったです。あの時の教室の手を挙げる皆の声、大きな声でハイ!ハイ!と言って先生に渡してもらった情景が今でもはっきり覚えて
います。その後ずっと読書好きで、現国は高校の時でも他の教科はさっぱりでも、特に良く試験の店も秀才たちとひけをとらない点がとれていました。(略)
小学校を卒業してから、すでに35年以上たった今、社会の第一線で活躍したり、子供を育てている方からの有り難いお便りである。学校・学級文化という視点から何が大事かということを語って下さっているように思える。
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