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生活感覚を生かす対話発展学習
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 「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を教材として

1、生命観を考える
 子どもを取り巻く環境の変化とともに、生命の畏敬・生命の尊重に対する意識が変化をしている。人を殺す経験がしたかった」と17歳の少年は殺人に走る。子との重大さや命の尊さを感じないまま犯罪を重ねる出来事が後と絶たないのが現在の世。相である。生命を軽く考える傾向は、日々の子どもの言動にも頻繁に表れている。いじめなどの問題、死にたいと平気でいい、「殺す・シネ」は日常語になっている。いじめられて自殺をする子があり、なぜ人を殺してはいけないのかと問う子がいる。
 小動物に死に悲しみ、生命を大切にしようという気持ちを持っている子が、その思いを他の子どもに広げるための具体的な行動になっていかないというもどかしさがある。豊かさの陰で生の実感が希薄になり、死を看取る機会が少なくなっている。今を精一杯に生きることが命を大事にしているという事への思いはあまりない。そのため、誠実な努力をすることより、楽をしたいというような事へ傾いていく。当然、死についても厳粛さを感じる機会は少ないので、生や死についての考えることも少ない。

こんな実態の子ども達に「生きるとは何だろう」という生と死について考えさせるにふさわしい物語に出会った。「葉っぱのフレデイーいのちの旅」(レオ・バスカーリア作 みらいなな訳)である。一枚の葉であるフレデイが春に生まれて冬に枯れて死んでいくまでの物語である。イラストと写真で構成をし、内容としては、後半の死にゆくプロセスに焦点が当てられている。

「春が過ぎて夏がきました。葉っぱのフレデイはこの春大きな木の梢に近い太い枝に生まれました。そして夏にはもう厚みのあるりっぱな体に成長しました。」
このような書き出しで、物語は始まる。
 フレデイは、春は春風に誘われくるくる踊る練習をしたり、夕立に体を洗ってもらったり、お月さまに銀色に照らされたり愛し愛される存在として、生き生きとした日々を過ごす。更に、フレデイは親友のダニエルから多くのことを教えてもらう。木の根っこは地面の下にあって見えないけれど、四方に張っていて、倒れないこと体を寄せてみんなで涼しい木かげを作ると喜ばれる事等。その過程でフレデイは自然の変化に命の本質を見つけ、生きるとは何かを考えていく。
秋になり冬が近づくにつれて、葉っぱは次々と落ちていく。
「かわいよう、ぼくも死ぬの?」とおびえるフレデイに友人のダニエルは死の意味を次のように教える。「世界は変化しつづけているんだよ。変化しないものはひとつもないんだよ。」「いのちは、永遠に生きている」と。
「いのちは土や根や木の中の目に見えないところで、新しい葉っぱを生み出そうと準備をしています。大自然の設計図は寸分の狂いもなくいのちを変化させつづけているです。」
物語はこのような文で結ばれていく。全体を通して「命の生活実感を覚醒」させるにふさわしい物語である。

「葉っぱのフレデイーいのちの旅」について「何でもない話なんだけどね。僕はせがれをなくしたでしょう。大きな衝撃を受けてしばらくじっとしていましたけれど、この本を読んでもう一度、一生懸命生きようと思いました。」と物語の朗読をCD化した森繁久弥氏は語っている。(1999年6月4日 西日本新聞)
「わたしたちはどこから来てどこへ行こうとしているのだろうか。子どもはだれも一度はこのことを考える。そういう難問に、この本は真正面から答えている。」(1998年10月28日 産経新聞)「大人も子どもも時にはこんな絵本を読んで、いのちについて言葉をぶっつけあってみたらいい」(1998年10月27日 日本経済新聞)等この絵本に対する評価は高い。
「すごく感心をしました。葉っぱの生き方はすごいと思いました。人間も葉っぱのフレデイみたいに生きたいです。すっごーく生きたいです。ぜったいがんばって生きたいと思いました。」(北九州・9歳)「自分の一生にはどういう意味があるかと問いかけるフレデイにダニエルは生まれてきていろんなすばらしいことがあったじゃないかとこたえたところが、わたしの一番好きな場面でした」(盛岡市・10歳)など、生命の尊重・畏敬に対する読者の評価も高い。

2、対話発展学習の目指すもの
 子どもが学習し成長をするということはその子の生き方が変わることを意味する。何かに向かい自分をの生き方をという、相手に生き方や考えに学びんり、自問自答を繰り返す中で、見方や考え方を広げていくことが対話である。
 物語を読むことは、主人公の生き方や考え方と自分生き方の鑑とする事である。そこではよりよい生き方を求めて対話が生まれる。時には、疑問を持ち、時には納得をする。その心の変化が豊かな見方や考え方を育てるのである。対話は物語の登場人物や主人公だけではない。時には、作者は読者を相手にする場合もあるし、自然や社会へ広がることもある。
 対話発展的学習とは、生きることに真剣に向かい合い、新しい自分をの発見し豊かに生きることの大事さやあこがれを持つような指導を積み上げることであろう。
対話には、単純完結型・累加型・屈折深化型・集約型など多様にある。単純解決型は教師が問答をして、子どもが答えるあるいはその反対で、いわゆる一対一になる。その型を基本にしながら、多様に方法を広げ、子どもが自らの生命観を見つめ、広げ、深化させるかというのことが大切である。ある子どもは、自分の生命観が絶対と思いこんでいたのに
新しい生命観にふれ、動揺しよりよいものを求めていこうとすることを期待したいし、ある子どもは自分の生き方に自信がなかったけれど、対話を通して、それが確かなものであることに自信を持つという姿で表れるということもある。
対話は、自己の覚醒を促すものであると位置づけてみたい。対話発展学習は対話から得たものを自分の生き方に反映をさせ、生や死について真剣に考えるような方向へ広げて生きたいきたいという思いを凝縮させたものである。
 「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を読む。よかった・楽しかったという事だけでなく対話を通して、人や自然の生命観に触れ、自らの生命観を確立させる。その過程で、よりよく生きようとする力をそだてようと考え「対話発展学習」と位置づけている。

 「葉っぱのフレデイーいのちの旅」では、対話は「自然への対話」「生命への対話」「自己との対話」「学校・地域社会との対話」を総称している。
 「葉っぱのフレデイーいのちの旅」の指導に当たって、対話をこのように捉えたのは、命を大切にするということは、子どもが生きる全ての場で命と向かいうことと考えるたからである。教室という場で、生命の尊厳について考えるきっかけを得させ、子どもの心の中に蓄えさせ、それが、日常の場で少しずつふくらませていくという息の長い営みであるという意味も込めて対話発展学習と捉えているからである。
 「自然への対話」ということは、フレデイが、自然の中で生きることを謳歌し、冬に死んでいく姿ない学びながら大自然のの設計図に寸分の狂いもないことを子ども達が学んでいく姿を指す。フレデイには父も母もいない。子どももいない。一緒に生まれて一緒に散っていくという「永遠の命」について考えるきっかけを得ることを自然への対話と捉えている。
「それぞれが異なる葉っぱたち」「日光浴のときは、じっとしているのがよい」「夕立は体をあらってくれる。」など葉っぱのフレデイが気づいたことは、そのまま、子どもたちの今の幸せの気づきである。一人で生きているつもりで今を謳歌しているが、多くの人に支えられていることに学びながら命を真正面に受けとめていくことを自然との対話と位置づけている。
子ども達は、物語を読みながら、今の自分はどこにいるのだろうかと考えたり、フレデイの姿を自分と重ねて感想を述べたりする活動を通して自然との対話を大事にす学習活動を大事にしたいと考えている。
「生命への対話」は今を生きる自分の幸せを実感できる事である。フレデイはとがった葉さき、立派な体に成長し、楽しさがふくらんでいく。みんなの役に立つこともみんなが喜ぶ事と快さにも気づいていく。
 生命への対話は、「命の生活実感の覚醒」である。日々生きている実感を持たない子ども達に生きるとはどういうことかを考えさせ、よりよく生きることの大事さに気づかせる事である。それは一人ではなしえない事である。
物語を読んでの感想を、友達と語り合い、作者と語り合い、友達や先生と話し合い、そして自分自身と対話する中で確実に自分の生き方が変化をしていくことに充実感を持つことを成長と捉えているからである。
「世界は変化し続けており、死ぬことは変化の一つである」とフレデイは考えるようになるまでのおびえや迷い、葛藤等を共有す。その過程で永遠の命に気づいていく。命への対話は子ども心を豊かなものへと導いていく。
「自己との対話」は自己を見つめることを基盤にする自己確立を大事にした学習活動である。物語を読んでの感想を感想を書く。友達から学んだことをメモに書く。自問自答を繰り返すという学習活動を多様に広げながら、生命観を確立するのである。
 「お話を聞いてどんなことを考えていましたか」と問い「このお話を読んで、心に残っていることはどんなことですか」「このお話を書いた作者とどんなお話がしたいですか」等働きかけながら、子どもの自己との対話を促す。
「お話を聞いたとき、なんて悲しいお話と思いました。でも、よく考えてみると、命を  大事にするといいうのはどういうことかなということを考える本だとわかりました。私の一生のもフレデイみたいなものだとおもいました。」
文としてはまとまっていないが、書く事で自分の感想を見つめ、考え方を修正している心の変化が見られる。「葉っぱのフレデイーいのちの旅」はこのよはうに、読むたびごとに新しさを感じさせる内容の深さがある。
友達の感想を契機に自分の生き方を考える、フレデイの生き方を手がかりに生命についた考える等、自己との対話は子どもにとって、生命の尊厳と真正面に向かい合う場でもある。
「学校・社会との対話」は物語から得た感動を自分のものにしまい込んでおかないで広げたり実践したりしながら自己啓発をする姿と捉えている。対話発展学習は知識として捉えるのでなく、生活まで広げていくことが大切と考えている。
従来の学習は、教室という枠の中で共有できるものであった。それは、授業という中では理解できても生きて働くというものにはり得なかった。
「命は大切である」と教室では胸を張って胸を張って言い切った子が、教室を出るといじめを平気でしているという姿も珍しくなかった。
「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を学ぶことにより、それぞれに人間がかけがいのない存在と自覚し、人にも優しくなろうという心をち、行動で表すとしたら、その行動は「学校・社会との対話」の姿として捉えている。

 対話展学習の目指すものは、共有・感動・自覚をその基盤にある。子どもが学習対象に興味を持ち続ける過程で育っていく豊かさを大事にする。そのためには「生活感覚」生かすことから始まる。
今の気持ちを大事にしながら、謙虚に作品の世界に学び合うというのは、「生活感覚」を基盤にしたところから始まることを大事にした。素朴な感想が高まる、生命尊重・死というような、今まで考えてもみなかったことが、自分の課題として自覚的に捉えられるには「生活感覚」を大事にした授業構想が大切と考えている。

3、生活感覚を生かす
「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を五年生国語科で指導した。 時間の制約もあり、三段階の構想を考えた。(三時間ではない)
まず、物語の全体を共有するために「読み聞かせ」から始めた。それぞれの考えて感想を書く。これが第1段階である。授業としては一時間。
 次に、感想を交流する、考えを深めたり、もう一度読みたい部分を読み合うなど、一斉形態学習とグループ学習を併用して物語から得た感想を交流させたり、深めさせたりした。第二段階である。時間にして一時間というより第三段階も含めて一時間とした方が正確である。性という学習活動を一斉形態学習で行った。
第三段階は、個別、あるいはグループごとに教師と子どもとの話し合いをした。読みとったこと・考えたことを聞くということがおもな内容で、授業時間というより休み時間や放課後という時間を活用した。(学級担任が出張で休んでいたときの授業であるので、時間としては、このような工夫をした)
授業の目的としては、文章を深く読むというより「感想を話し合う」ということを主にした授業である。教材としての価値をフレデイが、生きるとは何かについて、死と関わらせて考えている場面を大事にしたら、作品の命が子どもの心にふれ、主題について考えたり話し合えるのではないかと期待したからである。
授業の概要を示すと次のようになる。

@読み聞かせから感想を書く学習
絵本の特性から読み聞かせから始めた。難しい言葉は説明を加えたり、展開の概要をども子にも理解できるように途中で間のおいたりした。
「お話を聞きながら、どんなこと考えていましたか。」という問いかけで感想を書かせた。
○葉っぱの一枚一枚に名前がついていて一枚一枚が違う形なんて考えてもいなかった。
○フレデイはどんな木にいたのか考えていた。ダニエルとフレデイはすごくすごく仲がい  いと思った。
○どうして生き物は変化しなくてはいけにのだろう。どうして、死ななくてはいけない  のだろう。
○葉っぱになったような気がした。
○ダニエルはフレデイの友達だからフレデイに対してやさしいんだな。フレデイは一人でさ  みしくないのかな
○葉っぱのフレデイはダニエルからいろいなことを教えてもらった。
○葉っぱはいいな。でも一年で死んじゃうんだな。ダニエルはやさしくておもいやりが  あるな。それにつような。フレデイも死んでから自分の住んでた所の栄養になって、  よかったな。
○夏はたのしそうだったのに冬になるとなんかかわいそうだな。
○フレデイはダニエルからいろいろなことを教えてもらっているのだな。
○フレデイはどんな木に生まれて、どんな木に育ったのか。
○夏は本当に楽しそうだったのに冬はかわいそうだなと思った。一年しか生きられない  のか。
○葉っぱってやさしいな。葉っぱはちゃんと命を持っている。葉っぱにも個性みたいな  ものがちゃんとある。
○フレデイに命というものを教えたダニエルはえらい。葉っぱは人間達にも教えてくれ  ている。
○夏はすごく楽しそうだったけれど、冬はみんなと別れなければいけないしかわいそう  だと思った。でも、みんなと友達になれてよかった。
 これらの感想は、作品を聞いて最初の印象を書いたものである。フレデイについてあるいは、ま感想の話し合いを主なダニエルついてと多様に自分の考えを表現していた。まず、子どもの自己との対話である。この感想を読ませた。
読むという活動は、自分の考えを確認することであり、聞き手の反応を自覚するといいう意味を持つ。
 ○夏はすごく楽しそうだったけど冬はみんなと別れなければならないのでかわい  そうと思った。
○生き物はどうして変化をしなくてはいけないんだろう。どうして死ななくては  いけないんだろう。
○フレデイはダニエルに教えてもらってよかったな。命を大事にするってことがど  うすることか分かった。
自分から進んで発言を求めて発表した子の内容である。フレデイの死の対する同情のような内容が聞き手の心に響いているようながあった。
しかし、子どもの感想に見られるように子どもの心にある思いを引き出しきっていないことのではないかと感じる部分がある。
生活感覚が充分に感想ににじんでいないのではないかと考え、次のように学習を広げていった。

2 心に残った場面について話し合う
学習は、子どもが自分の考えを持つことから始まる。変容も深化も自分なりの足場があって成立するものである。簡単なメモを次の課題で書かせた。
「お話を聞いて、どの場面や言葉が心に残っていますか。」
多くの子が最終の場面をあげた。
  「フレデイがおりたところは雪の上です。やわらかくて、意外と あたたかでした。 引っこし先は、ふわふわして居心地のよいところだったのです。フレデイは、目 を閉じねむりました。」
子ども達は次のようにメモを書いていた。
○フレデイがあたたかい雪の上にのっていてこれから土になって木の助けになること。
○フレデイがひとりぼっちになって、最後は雪の上でねていること。三色の色がまじっ   た紅葉になったこと。
○フレデイもやっぱり木からはなれていくんだ。
○フレデイが死ぬのはいやだと言うところ。
○最後にフレデイが目をつぶったというところに感動。
子ども達の心を捉えてたのは、フレデイの一生に幕を引く場面が鮮烈な印象になっていたらしい。
この部分をもう一度読み返しながら様子を想像させた。
 「雪・やわらかい・居心地がいい」などの言葉からイメージすることを少し話し合わせ、このような気持になったのはどうしてかについても話し合いを広げた、互いの理解や感じ方を共有させた。
 子ども達の内容理解が主観的にならないために、展開の概要をまとめながら、もう一度読み味わいたい部分を見つけさせたり様子を創造させながら、命の尊さについて考えを深める方向へ話し合いを広げていった。。

B自分の言葉で読みを表す
 授業では「命を大事にしたから」という子の発言が授業の主流になった。しかし、言葉では言えても、フレデイのどの姿に共鳴しているのか、命を大事にするということはどういうことかを考えさせた。
抽象的な話にならないために方法としては「フレデイが命を大事にしていると思う場面」を話題にした。
○自分が死んでも、また木にもどり、葉っぱになって繰り返して一生生き続ける。死と  はこわがることではなくて、若葉の時や、夏や秋を生きることが命を大事にする事だ  と思った。
○命は、自分の使命を果たすまでは、絶対無駄にしてはいけない。
○このお話は葉っぱは生きている。仕事をしたり遊んだりしながら、いつかは死んでし  まう。死ぬのは心配する事ではないということが言いたかったと思う。
子ども達の発言を、季節毎に次のようにまとめたいった。
○自然変化に関すること(場面の様子)
○フレデイが気づいたこと
○フレデイがダニエルに教えてもらったこと
○フレデイが思ったり感じたりしたこと
例えば秋では
(自然の変化)突然おそってきた寒さ・体tについた白い粉・一気の紅葉・顔を強わばらせておそいかかる風・雪の上でねむりに入った。
(教えられたこと)もうすぐ冬になる・僕たちは生まれてきた役割をはたした・変化は自然なこと・命は永遠に生きている・
(思ったこと・考えたこと)おびえる葉っぱ・僕たちはここにいたい・生まれてきてよかったのだろうか・自分も色あせかれてきた
 子ども達は場面ごとに自分の大事にしている言葉や出来事を自分の言葉で語り、生命 や自然を話題にし、フレデイやダニエルと対話し、自己と対話しながら考えを深めていった。

C心に残っている言葉や文について話し合う。
物語から得た感動を自らの生き方の力にまで深めていくことができると考え、抽象的な話し合いでなく、実感のある言葉として、子ども心に深く刻みこみたかった。そこで、
「命を大事にしたから」という発言を手がかりに、子どもの思いをフレデイとダニエル会話から深めようと考え、「心に残っていること」を話題に話し合わせた。
○ダニエルは命の意味を教えてくれた。
○私は葉っぱが散るだけとと思っていたけど葉っぱにとっては死ぬことなんだな。
○自然の力はすごいな。
○葉っぱも生きているのだな。
○生まれたものはいつかは死ぬのだな。
○冬、みんなと別れるなんてかわいそう。
○「死ぬけど命は残っている」というのが気に入った。
○フレデイはずっと木によりそって生きていたのに木からはなれる時、はじめて、  木の全体を見たところが心に残っている。
○私は葉っぱは散るだけと思っていたけど、葉っぱたちにとっては「死ぬ」というこ  となんだなと少しかわいそうに思えた。
○ダニエルが命の意味を教えていることころ。
○ダニエルのやさしい言葉と「生命」というところ。
○いっしょに枝にいた仲間がみんな引っ越しをして、残ったのはフレデイになったとこ  ろ
○ダニエルが死ぬことフレデイに分かりやすくこわくないように教えているところ。
学習活動としては、同じことを繰り返しているように見えるが、一人一人の心に響かせようとすれは、丹念に子どもの本音を引き出す働きかけが必要と考えていた。
 子ども達は、このような話を通して「命は大切」ということを抽象的なものでなくフレデイの考えに学びながら、自らの考えを育てていった。
しかし、子ども達の中には、言葉の奥に重さについてを感じていないのではないこといいう部分も感じたので、再度
 「命は大事だというのはいつも言われていることだけど、フレデイにとってどうし  ていることが命を大事にしたことになるのだろう」
と、問い返した。最終場面の感動を子どもの心に落ち着かせたいという気持もあった。 抽象的な話にならないために「フレデイが命を大事にしていると思う場面」を話題にした。
 ○春は春風にさそわれてくるくる踊る練習をしたってあったでしょう。あれって、  幸せだったと思う。
○アルフレッドやクレアという 友達といっしょに遊んだこと。
○葉っぱに生まれてよかったとおもったことがたくさんあった事から。
○ダニエルに言われて涼しいこかげを作って喜ばれたこと。
○色々な葉っぱがあることを知ったこと。
 子ども達の発表を聞きながら、「命を大事にする」ことを話題にするより「生きるとはどういいうことか」を考えさせた方が素直な発言になるような気がした。

D感想を書いたり友達や先生と話し合ったりする。
話し合いを生かして感想を書いたり読み合いをしたり新聞のコラムの紹介をしたりして考えを更に深める方向へ広げていった。ここからが個別の指導になる。
話し合いの内容として、
○作者はこのお話でどんなことを考えてほしかったのか。
○多くの人がこのお話に感動しているのだけれど、なにに心をひかれているのだろう。 ○自分が命を大事にする事を他の人に伝えるとしたらどうすることだろう。
○あなたにとって命を大事にするってどういくことだろう
と子どものはじめの感想を手がかりに話し合った。
「生きるということは意味のある大事な事だから、大切に生きてほしいというのが作者  の考えたと思う。僕は、今を一生懸命に生きることが死をこわがらないことだといく  ことがわかった。」
「とってもいい勉強をしたので、お家でおかあさんと今日のことを話し合ってみたい。」 「家にあるので読んだけれど、今日みたいに考えなかった。もう一度よんできます。」
「死ぬこともることの一つだと思えば死ぬこともこわくないっていうお手紙を書いた人  もいたって新聞あったけど、私もそう思う。その人とお話がしたい。」
というように考えを広げていった。

4、子どもが捉えた人間観と生命観
授業は教師の願い通りに進んだのではない。授業の始まりが感想を書く。更に、感想を発表する。心に残った場面や発表するという子どもの学び方を大事にしたので、ありのままの考えを子どもは多様に表現した。それらを傾向としてまとめると次のようになる。

@平凡的価値観
 深く考え、主題や意図を洞察して感想を書くということとは距離のある子ども達のまとまりである。
○自分がフレデイだったら、みんながいなくなったら不安だ。フレデイはそんなことは   なかったのかな。
○葉っぱって雪が降って冷たいときもがんばっているのだな。
○むずかしくてわからないけど、命は大事だということがわかった。
○フレデイがかわいそう。
 感想を書くという場がなければ、子ども心をかすることもなく終わったであろう。しかし、いったん書くという場を得ることによって、命について自分に引き寄せて考えることになった。
「はじめは、あまり分からなかったけど、話し合っているうちに、ダニエルの言ってい  ることの意味が少し分かってきた。僕は今まで、あまり、こういうことは考えていな  かったので、もっと真剣考えていきたい。」
対話ということを自分の生き方に結びつけていった学習後の感想である。
「フレデイがかわいそうとう感想を言ったので、私はえっと思いました。でも、考えて  いけばそうなんだと思うと、自分の考えが正しいと思いこんでいたのを反省しました。
  色々な考えがあるから、自分の考えが分かるのも勉強になりました」
「この学習で一番勉強になったのは何ですか」と個別の話し合いで話題にした感想である。平凡にも見える感想を手がかりに、自分の考えを見直すきっかけになった事例である。平凡的価値はその子にとっては、新しい価値観に触れるきっかけになるし、対話ということからは他の考えを深めることに役立つ。

A矛盾的価値
 子ども達の感想には内容に矛盾を持つものが多い。
○葉っぱは命ある。でも死んでしまう。フレデイは死ぬのをこわがっていた。永遠の   命のことを知らなかったのかな。でも、死ぬと分かったらだれでもいっしょだろう。
○命を大事にしないといけないのに命を大事にしていない。こんな事でいいとは思え   ない。でもダニエルは平気だったのかな。フレデイはほんとにわかったのだろうか。
○葉っぱは一年しか生きられないのにダニエルみたいに強く生きている葉っぱもいる   んだな。私たち達が暑い時こかげですずむけど、よく考えるとすごいことなんだ。
 生と死を真剣に考えるほど、矛盾的価値観になる。しかし。これは自分との対話をくりかえしているのある。生とは何か、死とは何かを真正面に考えながら、よりよい生き方について求めていこうする力になる考え方である。
「葉っぱの一枚一枚に命があるということをこのお話から知りました。はじめは、お話  が面白いといいうことフレデイはかわいそうと思っていました。でも葉っぱのことを  人間といっしょと考えるよく分かってきました。フレデイは死ぬのをこわがっていた  けど最後は安心しました。。フレデイの一生は死ぬのをこわがらないくらい春から夏  を楽しく生きたからだです。自然はすごいなと思いました。」
矛盾的価値は自然と対話し命と向かい合いながら、より価値ある考えへ高めていく。

B独自的価値
子どもらしい考えを持ちながら、更に深めていこうという姿勢で話し合いに参加をする子がいる。この子達は一般的な話し合いでは満足せず、自分の経験を背景に考えを広げたり深めたりする。
○このお話は葉の一生を伝えたかったんだ。短い一生を生きていることを知って欲し   かったのです。お母さんと前に読んだ時、フレデイがかわいそうとおもっていました。 ○この本は命について考える本です。
○お話を聞いたとき涙が出てきました。フレデイとダニエルだけになったとき、とても   感動しました。命を大事にするのは、助け合いはげましあっていくこと思いました。 子どもらしい考えが持てるのはその子なりの価値観が明確で、日々の出来事に対しても積極的に関わっている。
「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を読みながら、共感をしたり不思議に思ったりしながら物語に同化をしていく。学習の主役になるのはこの子達であるが、自分の考えを押しつけたりするのでなく、幅広く覆い包むこともできる。
「命の大事さを葉っぱのフレデイから勉強をしました。フレデイがダニエルから教えて
もらったことは、私も初めてのことが多いでした。冬になって、フレデイはさびしか   ったと思うけれど、命が永遠に生き続けることを教えてもらい私もよかったなと思 いました。フレデイのようになるのはまだまだがんばらないといけないなと教えても らいました。自殺や人を殺したりする人もいるけど、そんな人たちに命は大事だと教 えてあげたいです。」
学級という集団は多様な考えをて構成されている。多様な考えが大事にされ、互いに考えを交流しながら、よりよい価値へと高まっていくことが大事である。
「葉っぱのフレデイーいのちの旅」は多様な価値を生み出し、命の大切さや死についての意味を子どもなりに考えさせるにふさわしい物語である。
子どもの生活感覚を大事にする事は、一人一人の考えを大事にすることでもある。

5、未来学習への糸口
 これからの授業、未来学習は子ども考えを生かし広げ発展させて、子ども自らが自己発見・共生への自覚・生きることを学ぶことが求められる。
「葉っぱのフレデイーいのちの旅」を教材に指導をした経緯をもとに未来学習の糸口になるよう一般化する方向でまとめていくと、次のようなこれからの実践授業の全体像が見えてくる。

@子どもが学習に魅力を感じるのは「対話発展学習」である。
学習の後、次のような感想を書いた子がいる。
「葉っぱのフレデイは今どうしているのでしょう。木をみるとあれがフレデイかなって   思わず考えます。
学習の中で一番心に残っているのは、友達と先生と話し合った事です。先生は、作   者はどんなことを知ってほしかったのでしょうと言われました。私はあまりそのこ とを考えていなかったのでだまっていました。すると相ちゃんが、死ぬのはこわく ないことですといいました。私は、そうだなって思いました。
そのとき、感想でそんなことを考えた人がいたことを思い出しました。私の友達は いいことを考える人がいるのでよかったです。命を大事にするというのは、ダニエ ルのようなよい友達を見つけることも入るのかなって思いました。死ぬことはだれ もがあるけど、いい友達や楽しいことをいっぱい見つけたら、心配ないのかなって 思いました。
 学習を対話と捉えると子どもが何をするかという視点でなく、どのように自分を高めていこうとするかという視点で見ることができる。
物語から得た感動を感想に表したり友達と話したりしながら、高めたり深めたりする。理解ができたとか、粗筋が分かったというのではなく、葉っぱのフレデイの生き方を自分と比べたり、友達の考えに共有をしたり、更には、作者の考えを探ったりという学習はすべて対話を軸にしたものである。
「家で今日の勉強をお母さんや妹に話してあげました。お母さんは、よいお話ねと言   っておじいさんのことを教えてくれました。私の家には、仏だんがあります。お父   さんとお母さんはいつもおがんでいます。いつまでもいきているっていうことかな   と思いました。」
 家庭や社会との対話の姿である。生きることを話題にした学習はこのような広がりが期待できる。
対話発展学習が成立する用件は
・教材が人生の奥深さを考えさせるもの。
・対話が一時的でなく、絶えず子どもの心に響き、進んで考えようとするような話    題であること。
・自分なりの考えが持てるような学習活動に配慮があること。
である。また、対話発展学習は次のような過程をたどる。
・問題に気づく段階(フレデイの一生から問題を持つ)
・豊かな見方・考え方のよさに気づく段階(友達の発表から自分の考えを深める)
・有効な表現の工夫(相手を求めて考えを交流する)
・発展の場を生かし、よりよい生き方を求める(納得いく考えにまとめる)
 学習の魅力は、自分の考えが深まり高まることを自覚するときである。対話発展学習は子どもが納得するこれからの学習である。

A「生活感覚」を大事にすると子どもは自らの生き方と教材を結んで真剣に考える。
 「葉っぱのフレデイーいのちの旅」の学習では、子どもの感想を軸に展開をした。感想は子どもの生活感覚をそのまま反映したものである。
現在の学習に子どもが疎外感・空虚感・孤独感を抱き魅力を感じていないのは、生活感覚が反映していないからである。なぜなら、多くの学習は、求めるべき回答の範囲が決まっていて、それに近づけようとすることが多い。その場合は、子どもが自分の本音の押し隠し、求められた答えに近づけようとする。
生活感覚を大事にするということは、あるがままの子どもの考えの全てを受けとめることが大事にすることはこれからの授業で大事にしたいことである。

B「生きる」ことを学ぶなかで子どもの心は豊かになっていく
「対話発展学習」が未来の学習の糸口になるのは、次のような学習過程を大事にしてきたからである。
○自分を知ることを学ぶ
 ・生活感覚を大事にしているので、まず自分の考えや自己の立場を明確にして学習 臨むことができる。
・他の考えと比べたりしながら、自分の考えのよさについて気づいたり自覚したり    する。
○共に生きることを学ぶ
   ・命の大事さを多様な考えの中から確かめ合う。
・対話を軸にし、互いに高まりあうよさに気づく。
・自分考えになかった新しい考え方うあ生き方を学
○人間として生きることを学ぶ
・作者との対話、友達や教師との対話を通して、よりよい生き方を学ぶ。
 「生きる」ことを学ぶのがこれからの学習では大切になる。生活感覚を大事にし、対話を深めながら生き生きした学習場面を生み出せば、子どもの心は開かれよりよいものにと高まっていく。
学習をする子どもの姿が見える授業がこれからは求められる。それは、教師が予定をした通りに子どもが運ばれていくのではなく、子ども自らが授業という場で、自分を精一杯発揮できることが大事になる。
なぜなら、そのような授業の過程で新しい自分を見つけたり、生きる力を身につけたりする。生きる力は、子どもが生命と真正面に向かい合い、人間として生きることを学ぶ授業の中で育つのである。

 
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