「総合的な学習の時間」への関心が少しずつ薄れている今頃であるが、
今日(2002年11月)、参観した学習は、生きる力を子どもたちが獲得していくたくましさが伺え
感動した。
参観した学校は宝塚市末成小学校。6年生で課題は「福祉」近くにあるデーケアセンターへ訪問を繰り返す過程で高齢者と心を通わせていくというという
過程がしっかりと把握できる学習であった。
代表者が事前に施設の方とミーテングを繰り返し、細かな打ち合わせを積み上げながら
自分たちでできることは何かと探る。相談をする、知恵を出し合う。
例えば、車椅子を頼りにして生活している人を学校に案内したい、そのため、
校長先生にお願いに行く。校長先生から安全についての確認を求められ、自分たちで校舎のあちこちを
見直す。・・・そして、実行したのは、普段あまり自己主張をしたことがないという子という。
教科の学習では、受け入れるだけで精一杯だったのに、人に役立つことだと担任の先生が驚くほどの底力を
発揮する。生きる力はこのような過程で育つのだろうと思った。総合的な学習が子どもの中にある輝きを引き出したのだと思うと納得しうれしさがこみ上げてくる。
経験したことを交流する学習で、
「僕のお話した人は若い頃すごく勉強したといって
ロシア語も英語もフランス語もドイツ語もよく知っておられた。若い頃の勉強は
宝、知識は宝と言っておられた」
と報告した。この言葉の意味が子どもたちの心に響いていく様子は教室の雰囲気から
感じることができた。
「利用者の方たちは一緒にお話をすることが一番うれしそうだった」
そんなことをつぶやく子もいた。
「6年生が一年生の話をとてもよく聞いてくれるようになりました。どうしてかなって
思っていたのですが、こんな学習をしていたのですね。納得です」
と一年担任の先生のつぶやきが印象に残る学習であった。
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