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漫画少年と「銀河鉄道」(070505)
漫画少年が「銀河鉄道」の感想文を書いた。賢治の表現をどのように捉えているか興味がある。

「 銀河鉄道の夜」を読んで
吉永 則良
宮沢賢治の作品を初めて読んだのは小学校の国語科教科書「やまなし」だった。げんとうの中に、かにの親子出てきてが話しているものだった。川底の様子がきれいな文で書いてあって、何回も声に出して読んだことを覚えている。その後、「よだかの星」や「雨ニモマケズ、風ニモマケス」の詩を読んだことがある。自分のことをあまり考えず、幸せとは何かを求めている賢治の生き方に少し興味を持ったことがあった。「銀河鉄道の夜」もいつかは読んでみたいと思っていたものの一つであった。
「銀河鉄道の夜」は賢治童話の最大の長編であるとともに、未完成の傑作ともいえる大作であるーー文庫本(角川)の表紙に書いていた紹介である。「宮沢賢治ほどふしぎなもの、美しいものをわたしはあ文学の世界のなかでほかに知らない」(生野幸吉)と言う人もいる。このような期待を持たせる紹介が気に入り一気に読んだ。
「銀河鉄道の夜」の粗筋は、ジョパンニが、ケンタウル祭の夜ザネリ達にからかわれて逃げているうちに、 牧場の丘の上に来ていて、そこは銀河ステーションであったという所からジョパンニの銀河鉄道の旅が始まるという設定がしてある。
「するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと言う声が したと思うと、いきなり眼目の前がぱっと明るくなって、まるで億万の螢烏賊の火を いっぺんに化石にさせて、そこらじゅうに沈めたというぐああい、また、ダイヤモン ド会社で、ねだんがやすくならないためにわざと穫れないふりをして、かくしておい た金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえしてばらまいたというふうに、眼の前がさ あっと明るくなって、ジョパンニは思わず何べんも眼をこすってしまいました。」
気がついてみると、軽便鉄道に乗っている話の転換場面を巧みな文をつじないで書いている。本当の所をいうと、最初読み始めと時は、文章が長く、読み辛いと感じていた。何となく遠回しな言い方は、漫画になじんでいるので、とても、文の響きに親しむということはできなかった。ところが読み終わってみると、金剛石、ダイヤモンドという華やかなかに泉水や、森、青や橙緑という美しい光の中をいく銀河の様子は、とても漫画や劇画で表せない心に残る美しい世界の中にいる快さを感じていることに気がついた。
この童話の始まりで、おやっと感じたことがあった。、銀河帯について質問に控えめなジョパニンについてである。カムパネルラが返事をしなかったことについて自分のことをかばっていることをあわれに想っているところや病気の母親との会話である。
「お母さん、今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」
「ああ、お前、先におあがり。あたしはあほしくはないんだから。」
これは、互いの心を思いやりがら生きている姿を言い表しているところである。また、よく似たことで、
「ああ、あたしは、ゆっっくりでいいのだ からお前さきにおあがり」
とお母さんがすすめているところもある。
はじめの控えめなジョパンニの生き方は、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の詩の中にあある考え方に似ている。そのことが病気の母親に向かってもいえると言うことに気がついた。童話ではあるが宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で自分の生き方や考えを全部だそうとしているのではないかと思えるようになってきた。そう考えると、少しまどろっこく思っていた文が急に深い意味があるように思えてきた。
もしかしたら、あのお母さんは、妹トシのことを書いているのではないかなとさえ思えてきた。「永訣の朝」の詩で宮沢賢治は優しい兄の気持ちを表している。あのときの雰囲気にているからだ。
銀河ステーションから白鳥、天の川から北十字とスケールの大きい宇宙が広がっていく。まるで映画を見ているような美しさである。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうの幸いにな るなら、どんなことでもする。けれども、 いったいどんなことが、おっかさんのいち ばん幸いなんだろう」
「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こい つはもう、ほんとうの天上へさえいける切 符だ。天上どころじゃない。」
というようにジョパンニは、銀河鉄道で旅をしながらも浮ついていない。もの珍しく旅をしているのではなく、人生を考え生き方を見つめている。
「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつ めたようなきらびやかな銀河の川床」
「水晶細工のように見える銀杏の木」
両手ですくってこぼれるような星は、時にはりんどうの花になり、時には島になっている。それは、宮沢賢治が夢見ていた理想の世界なのだろう。
妹トシのことが頭にあったら、こんな美しいところにいるのだと思いたかったかもしれないし、頭になかったら、世の中の煩わしさをさけて、宇宙に理想の世界を求めたのだろうと思いながら読んだ。
しかし、そこも、宮沢賢治の理想の世界ではなかった。鳥を捕る人に会ったときにやるせない気持ちや、カムバネラと女の子の会話で孤独感を味わう所は楽しさの中に暗さを感じた。そして、それが真実を言いたいのだろうとも思った。
銀河鉄道を通して、夢の国のような理想の世界を見つけたかったのに、その世界にも人間の欲望がいっぱいあることをいいたかったのかもしれないし、理想をどこまでも求めるのが、人間といいたかったのかもしれないと考えた。
「銀河鉄道の」を読み終わったとき、作品としてのスケールの大きさともに、自分の考えを主人公の生き方に重ねて書いている宮沢賢治にすごさを感じた。
人を愛する心や自分を捨てて人のために生きるという考えの大きさ、また、透き通るような美しい文章を書く宮沢賢治を知り、考えることができたことに満足している。童話の奥に何があるのだろうかと考えるようになったのは漫画人間にとって新しい発見であった。そして、夜空を見上げるとき、宮沢賢治は銀河鉄道のどのあたりにいるのだろうとふっと思ったりした。