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作品鑑賞(十二月号)


◎木守柿人形が住む武家屋敷 西村 康子
かつては繁栄をしていた様子を人形で再現している文化施設は多い。
人の世の移り変わりを見守ってきた柿の木の目で武家屋敷を見ている
目に共感しました。

◎斜に切る竹の花筒終戦日 寺井 昭七
供花や水、それに新しい花筒を持って墓参をするのが習わしでした。
その様子を思い浮かべながら「斜めに切る」の鋭さに、繊細な感性と
句の奥深さを感じました。

◎口紅の色変えて見る十三夜 兵庫 妙
十三夜は名残の月とも言われています。
名月の時と違ってどことなく寒く寂びてきて、月を賞でる気持ちも違うものです。
気分転換に口紅を変える気持ちを重ねて句にされたのはさすがベテラン作家です。

◎秋霖や悔いひきずりて気の重く 野上 雄三
秋の雨はうそ寒くて浮き浮きとしが気分にもなれないものです。
言わなければよかった、もっと注意をして行動すればよかったなど悔いを
引きずっているといっそう気分も重くなります。その心情を巧みにまとめらました。

◎鉛筆の芯を尖らす山廬の忌 大塚 春月
山廬は飯田蛇笏のこと。蛇笏は芭蕉に傾倒し高浜虚子の指導を受け
主情的な句風を樹立したと言われています。俳句を作ろうと机に向かい、
鉛筆の芯を尖らせることから始めようとする様子と山廬の忌がうまく
呼応して句としていると思いました。
◎逝きし子の今日誕生日柿供ふ 河合 哲朗
ご子息は、優秀な頭脳と温厚な人柄・大学時代はスポーツマンとして活躍、
将来を嘱望された好青年でした。在りし日のことを思い出しながら大好きだった
柿を供えられたのでしょう。「今日誕生日」が重く迫ってきます
◎このあたり神の領地や山粧う 丸山 見月
紅葉に彩られた山を散策されているのでしょうか。
神の領地らしく神々しい雰囲気の身も引きしまるという気持ちが伝わってきます。
◎傷秋がロダンの肘へ落ちてゆく 北村たかし
傷秋は秋の寂しさに誘われる物思いの意味
で、秋思や秋あわれと同意義。ロダンは生命力と量感にあふれて
彫刻と傷秋の対比が句を引き締め緊張感が溢れています。
「肘へ落ち邸ゆく」に細やかな心が動きを感じました。
◎鱗雲うろこ一つの行方かな 今井 泉
鱗雲はさざなみにも似た小さな雲片の集まりで空一面に広がっています。
その雲片に人生を感じる時、その行方が気になるとういみでしょうか。
大空を見上げ思索する作者のゆとりを心の広がり感じました。
◎遠花火思い出は美し悲しかり 谷口欣二郎
思い出は何かのきっかけを得て蘇ります。それは多くの場合
美しいものですが、時には悲しいものがあったりと様々です。
遠花火と物思いにふける作者と重ねてながら一枚の絵なる句だと思いました。
◎あのへんが富士の頂き秋雲り 兵庫 きみ
旅の句でしょう。
快晴なら富士山の頂上まで見えるのに生憎の曇天。富士を
見たいという期待が大きかっただけに、残念の気持ちが
「見えるのに」に詰まっています。
◎意のままに活ける気安さ草の花
野本 和子 桔梗、撫子、あるいは名も知れぬ野草を活ける時の
心情をうまく句にされたと思いました。花を活ける時、形などの
こだわっているとなか思うようには活けられなのですが、
「野草」であると気楽に活けるとことできるという自在さに惹かれました。
◎廃屋を一人占めして曼珠沙華 宮尾 計
人が住まない廃屋のいつ野間に荒れたままになってしまいました。廃屋を取り巻くように彼岸花が燃えるように咲いているという光景でしょう。廃屋と彼岸花の組み合わせに詩情を感じました。
◎紅白の空に飛び交う運動会 寺田 幸夫
紅白は運動会の定番です。リレー、
綱引き等。この句は、視点を空に当てていますから玉入れを想像しました。高く低く紅白の玉が飛び交う様子が目に見えるようです。運動会のドラマを見ているような気分でした。
◎日の丸の赤のうすれて夏終る 滝沢 宣子
官公庁には日章旗が掲げられています。
あまり気がつかないのですが、よく見ると、
白地も日の丸の赤もくすんでいます。
細かな所に目をつけられ下五句「夏終わる」が句を引き締めています。